髙橋大輔選手&田中刑事選手が地元の岡山・倉敷でチャリティートークショーを開催2019/06/19
昨年7月、西日本を中心に甚大な被害を与えた西日本豪雨災害。その復興支援を目的に岡山県の倉敷市芸文館で開催された「西日本豪雨災害復興チャリティートークショー」に、同市出身の髙橋大輔選手と田中刑事選手が登場しました。チケット販売とチャリティーオークションの収益は、山陽新聞社を通じて西日本豪雨災害で被災した方に寄付されます。
髙橋選手と田中選手は、幼い頃に同じスケートクラブ・倉敷FSCに通っており、また同じ中学校出身の先輩・後輩の間柄。まず司会者がそれぞれのプロフィールを紹介し、最後に「昨年の全日本選手権では、そろって表彰台に上りました!」と言うと、会場から2人の健闘を称える大きな拍手が沸き起こりました。
2人が登壇するステージを飾ったのは、岡山出身でフラワーエンターテイナーの萬木善之さんが手がけたスケート靴を模した華やかなアートフラワー。2人が一緒に地元でトークショーを行うのは初めてということで、登壇した髙橋選手と田中選手は「緊張しています」と声をそろえました。
── 今回のトークショーは、西日本豪雨災害の復興チャリティーのために開催されました。
髙橋「ニュースを聞いた時は、本当にびっくりしました。すぐに駆け付けたかったのですが、当時は現役復帰へ向けた準備があり、“地元に帰ってきて手伝う”ということが、どうしてもできませんでした。すごく心苦しくて、何か力になれることがあればやりたいと思っていましたが、なかなかチャンスがなく…。こうしてイベントをして、少しでも力になれるのであれば良かったです。ただ復興はやはり簡単にいくことではなく、当事者の方々は本当に大変だと思います。僕に何かできるわけではないですが、気持ちだけでも、やはり応援したいです」
田中「被災地に行き、被災の状態を目の当たりにし、復興に時間がかかると感じました。この1年間、僕自身に何ができるかを考え、こうしてチャリティーの活動ができました。僕のスケートが、“復興に向けての一歩”の支援になればいいなと思います」
── お二人とも倉敷出身ですが、年齢は九つ離れていますね。田中選手は髙橋選手とお話しされる時に、緊張されますか?
田中「若干、僕は緊張しながら話しています。大先輩なので」
髙橋「うそー!(驚)。大先輩じゃないよ…。緊張していたとは知らなかった。普段あまり話してくれないので、嫌われているのかと(苦笑)。頑張って話しかけに行こうとするんですけど、何を話していいのか分からなくて…。昨年、一緒に合宿をした時は、ジャンプについてアドバイスをもらいました(笑)」
田中「一昨年の全日本(全日本選手権2017)の前には(髙橋選手から)アドバイスをいただいていたので、この1年でぐっと距離が縮んだのかな、と(笑)」
── その時は髙橋選手からどんなアドバイスを受けたのですか?
田中「全日本前で、死にそうなメンタルで準備していた時です。目線が下がり気味になってしまっていて、『もっとお客さまに目線を向けて!』と言ってくださいました。自分で気付くべきところですが、忘れやすいことなので、すごく良いアドバイスでした。その全日本選手権では解説席に(髙橋選手が)いらっしゃって、目線を上げた効果で(髙橋選手の姿が)良く見えました。林(祐輔)コーチが(リンクサイドに)いて、解説席に先輩(髙橋選手)がいて、いろんな角度から見られている感じでした(笑)」
髙橋「(演技中に)目が合うと、少し恥ずかしさはありますよね…(苦笑)。目をそらしてあげた方がいいのかと、悩むんですけれど…。でも、本番の時に目が合うと、目が離せなくなる。(演技に)引きつけられるんです」
── 2人でいる時に岡山弁が出ることはありますか?
髙橋&田中「出ないですね」
髙橋「敬語って岡山弁で話すと標準語っぽいので」
田中「友達と(話していても)もあまり出ない。友達としゃべっている時に岡山弁を聞くと、新鮮味を感じます(笑)」
髙橋「でも、2日間くらい(地元に)いるとしゃべっている自分がいて。この間、姪っ子が生まれまして、それで帰っていたのですが、岡山弁が出ていてびっくりしました」
── やはり姪っ子はかわいいですか?
髙橋「めちゃめちゃ…めちゃめちゃ、かわいいです」
── お二人のスケートとの出合いについて教えてください。
髙橋「兄が少林寺(拳法)をしていて、表彰状を持って帰ってくることが多く、『僕も表彰状がほしい!』と思ったのがきっかけです。いろいろなスポーツを提案してもらいましたが、あまりピンとくるものがなく…。当時あまり表に出るようなタイプでもなかったので、(両親の希望として)“男らしくなってほしい”と(アイス)ホッケーをやっているところに連れていってもらいましたが、防具が怖いなと思い、辞めてしまいました(苦笑)。そこ(リンク)ではフィギュアスケートもやっていたのですが、僕の名づけ親の方がフィギュアスケートが大好きで、その影響もあり、『これをやりたい!』と。本当は体操をやりたかったのですが、(練習のために)岡山市内まで行く必要があり、共働きの両親が送り迎えができないということで断念しました。それで、家の裏の山にスケートリンクがたまたまできたので、『これならできる!』と(フィギュアスケートを)スタートしました」
── 倉敷FSCでの練習は楽しかったですか?
髙橋「楽しかったです。練習というか、遊びに行っている感覚でした。(生徒が)すごく少なく、教室もスタートしたばかりでしたので、みんなで何をしたいのか、いろいろなアイデアを出し合いました。夜の貸し切り(練習)はなく、一般滑走の中でやっていて、練習が終わった後はみんなで“氷鬼”をしていました。先生たちに“教えてもらう”というよりは、“遊んでもらう”という感覚が近かったです」
田中「僕も(両親が)何かスポーツをやらせたかったらしく、いろいろとやってみたのですが、どの競技もハマらなかったんです。近くにスケートリンクがあってそこに行ったら、ハマってしまって…。気付けばスケートしかやっていない生活になっていました」
── 楽しくて仕方なかったんですね。
田中「それもあるけれど…。たぶん、僕、涼しいところが好きなんです(笑)」
── 倉敷の思い出の場所を教えください。
髙橋「ヘルスピア(ヘルスピア倉敷のスケートリンク)です(笑)。あっ、鷲羽山ハイランド! (スケートのために)通ったりもしていましたし、あとめちゃめちゃ怖い自転車…」
田中「スカイサイクル!」
髙橋「あれ、めちゃめちゃ怖いです。あの怖さは、ほかにないですね」
田中「あの微妙なボロさが…」(会場から笑いが起こる)
── 田中選手は、意外とはっきりと言いますね(笑)。田中選手の思い出の場所はどこですか?
田中「地元に帰ってきて、友だちと行く場所は、イオンモールくらいしかないです」
── 何をしにイオンモールに行かれるのですか?
田中「徘徊しに行きます。目的もなく、特になにすることなく…」
── そこに行けば、田中選手に会えるかもしれないということですね(笑)。
田中「はい。たぶん年末…」
── それを言ってもいいんですか!? 大丈夫ですか?
田中「全然、大丈夫です。普通にいます(笑)」
── 髙橋選手は昨年、現役復帰されました。迷いや葛藤はありましたか?
髙橋「すごく思い悩んだということでなく、ピンときました。自分の将来を考えた時に、これがきっかけになれば、と。それまでの3、4年間は何がしたいのか分からない自分がいて、本当にこれでいいのかなと考えていました。まさか現役復帰するとは思っていませんでしたが、全日本(全日本選手権2017)をきっかけに、パっと視界が開けたという感じです」
── 現役復帰について、どなたに最初にご相談されたのですか?
髙橋「相談はしていませんが、最初はトレーナーさんに『します』と言いました。(反応は)『ええ~!』という感じでしたね。(引退して)4年ですからね…、さすがに未練はないだろうとみんな思っていたみたいです。長光(歌子)コーチですら、現役に戻らないと思っていたようです」
── 髙橋選手をサポートしていこうと、周りにも火がついたのではないでしょうか?
髙橋「そうですね。僕も気持ちの中では現役復帰に向かっていましたが、体と気持ちがすぐに切り替わるわけではなく、なかなか踏み出せない時に、『練習来ないの?』とすごい圧(プレッシャー)が(苦笑)。歌子先生なんか特に鼻息荒くなっちゃって、(自分は)『ゆっくりやりたいんだよね…』という(戸惑う)ところがありました。僕はスロースターターなので、時間がかかるんです(苦笑)」
── 田中選手はレジェンドの復帰をどう思いましたか?
田中「現役からするとすごくうれしいことですし、何より一緒の舞台に立てる。引退される前に同じ全日本(選手権)に出ていましたが、すごく上の存在で、追いつける立場ではないと実感していて。それから4年経って、僕自身も少し成長できて、やっと同じ最終グループで滑ることができた。昨シーズンの全日本は、すごく不思議な感覚でした」
── 経験したことのないような?
田中「いつも苦しさに押しつぶされそうなのに、(昨年は)楽しみが少しありました」
── 髙橋選手の存在は大きいですね!
髙橋「いえいえ、大きくないです…(照)」
── そんな全日本選手権2018では、お二人そろって表彰台に上がりました。
髙橋「うれしいんですけど、違和感がすごかったです。引退してテレビなど外から見ていたので。(表彰台に)立っているのも不思議でしたし、刑事と、(宇野)昌磨と一緒に立っているのが不思議でした」
田中「トータルでは、楽しかった(笑)」
髙橋「みんな、いい“苦笑い”をしてました(笑)」
── その全日本選手権2018では、2人で国民体育大会に岡山代表として出たいというお話も飛び出しましたね。
髙橋「刑事が『引退する』と思った時に連絡をくれれば、その年の国体に挑戦しようかな、と。いや、僕が勝手に言ってるだけですよ(笑)。楽しい…面白い…面白いって言っちゃいけないのか」
田中「いや、絶対面白いです(笑)」
髙橋「(現役中は)世界選手権とかがあって忙しいと思うので…。引退した次の年くらい?…引退宣言しちゃうとダメ(出場できない)なんですけど、そこは少し抑えてもらって。(引退して)2、3年すると復帰するのがしんどいから、引退した次の年くらいに…(混乱した様子で)あれ? 引退していると出られない?(笑)」
田中「いつか実現できるように、よろしくお願いします!」
── 互いのプログラムで印象に残っているプログラムはなんですか?
髙橋「大阪の全日本選手権でやったエキシビションナンバーの…」
田中「『Just Like Fire』です」
髙橋「それまでの刑事のイメージとすごく違っていて、こんなスケートできるんだ、成長したんだと衝撃を受けました。これが“成長する”ということなんだなと。すごく上から(の目線)なんですけど、刑事を見る目が変わった時ですね。(会場に『Just Like Fire』ではなく『ジョジョの奇妙な冒険』の音楽が流れる)あっ、もう一つは『ジョジョの奇妙な冒険』です。真面目でシャイな刑事の“はっちゃけ”ぶりにびっくりしたというか、ある意味一番衝撃を受けました」
──「Just Like Fire」は、田中選手のイメージがガラっと変わるプログラムでした。
田中「知識のない状態で、“育てていく”という意味で、試合ではあまり“滑りたい曲”を選びません。でもエキシビションに関しては“滑りたい曲を自分のものにしたい”、曲を聴くと僕のイメージが沸くようにしたいと思っています」
── 田中選手が一番印象に残っている髙橋選手のプログラムは何ですか?
田中「僕が一番好きなのは、バンクーバー(冬季オリンピック)のショート『Eye』です。曲も好きですし、次にこの曲使う選手が気の毒だと思うくらい、(髙橋選手に)最強にマッチしているな、と。音のハマり方もすごいですし、どんどん盛り上がっていくのを感じました」
髙橋「高校生の時から好きで、いつか滑りたいと思っていました。今やったら、また全然違う雰囲気になるのかなと思ったりも…。(会場から期待の拍手)…しませんけど!(笑)。刑事にも合いそうだけど…」
田中「恐れ多いです」
髙橋「人それぞれ個性も滑りも違うので、ほかの人が(この曲で)滑るのをちょっと見てみたい気持ちもあります」
── 髙橋選手と田中選手といえば、ステップですね。髙橋選手は、小さい頃からステップが得意でしたか?
髙橋「昔のプログラムは、(ステップを)さらっと流すのが主流でしたが、アレクセイ・ヤグディンさんやエフゲニー・プルシェンコさんの時代、ソルトレーク(冬季)オリンピックの2年前くらいから“ステップで魅せる”というのがはやり出して…」
田中「しっかり、レベルがつくようになったので」
髙橋「そうです、そうです。刑事に全部しゃべってもらった方が(苦笑)。ソルトレークでいろいろあって…。僕自身は得意だとは思っていませんでしたが、新ルールになってからレベルがつくようになって、ニコライ・モロゾフさんの指導で、(最高評価の)レベル4をプルシェンコさんの次に出して、それをメディアの方が取り上げて、僕も調子に乗って…という(苦笑)。得意じゃないとか言っちゃいけないと思いますけど、うそがつけないので…。刑事の方がたぶんうまいと思う。でも、“ステップで魅せる”というのは好きです」
── 本当に魅了されます。ステップを音に乗せる意識をしていますか?
髙橋「どうなんだろう…。音って、どこでもハマるといえば、ハマるので。ずっと音は流れているので、“強弱をどこでつけるか”というところだけ。あまり深く考えていないです。僕が気持ちよく、素直に感じて滑っているだけです(笑)。ただ『見てもらいたい』という思いだけ」
── 田中選手もステップが得意ですね。
田中「得意というわけではないのですが、先輩(髙橋)の姿を見て、“ステップで魅せる”大切さを(学びました)。“ステップで魅せる”選手になりたいと、小さい頃から思っていました」
── お二人とも冬季オリンピックに出場されています。オリンピックの選手村でのエピソードを教えてください。
髙橋「昔のことすぎて忘れました(苦笑)。一番快適だったのは、バンクーバー(冬季)オリンピックですね。(宿泊した)マンションがすてきで、快適で、奇麗で。でも帰る前にちゃんと片付けていなくて、副団長に怒られました(苦笑)。僕らの部屋が一番汚かったらしいです。お酒を飲んだ後に、ちゃんと片付けられていなくて…。本当に本当に、申し訳ない気持ち…。怒られて当然だな、と思いました」
── 髙橋選手はお酒がお好きですか?
髙橋「好きですが、今は全然…(会場からどよめき)。平日はノンアルコールです! 選手村では(日本代表選手が)同じ部屋で過ごしたりするので、新鮮です。試合の間近は一人部屋に回してくれたりもするのですけど、(試合が)終わった後はみんなで集合して。こんな楽しくていいのかな、と思っていました(笑)」
── 誰と同じ部屋だったのですか?
髙橋「のぶ(織田信成)とタカ(小塚崇彦)と…。崇彦くんがもともと片付けができないので…(会場から笑いが起こる)。僕が一番きっちりしているんですけど、お酒が入ってしまって、いつも通りにできなかった。悔しいですね。怒ってくれてうれしかったです。次から(部屋を)出る時は気を付けるようになりました(苦笑)」
── 田中選手は平昌冬季オリンピックでいかがでしたか?
田中「その時は、昌磨とペアの木原龍一くんとアイスダンスのクリス・リードさんと一緒でした。まず、昌磨が部屋から出てこなくて、一緒に過ごした記憶がない(笑)。2~3時間一緒にいたかな、くらい。リンクでは会うんですけど、ほとんど出てこなかった(笑)」
観客と両選手の笑顔の絶えなかったトークショーの後には、髙橋選手と田中選手が実際使用した練習着やスケート靴などのチャリティーオークションが開催され、こちらも大盛り上がり! この模様は、第2弾でお届けします!
髙橋選手は7月26日から3日間にわたって上演される「氷艶 hyoen2019 -月光かりの如く-」に出演。「新しい挑戦でもありますし、演出家やアクション監督にアドバイスをいただきながら、光源氏を作っていきたいと思います」(髙橋)と意気込みを語りました。そして、田中選手は現在’19-’20シーズンの新プログラムを制作中。フリーのキーワードは“事件”ということで、「プログラムを通じて成長する姿を見せたいです」(田中)とこちらも気合十分な様子。髙橋選手、田中選手の今後の活躍に注目しましょう!
「氷艶 hyoen2019 -月光かりの如く-」
公式HP:http://hyoen.jp/
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