Feature 特集

革新を起こし続けるBMXのライダー・内野洋平選手2019/05/15

 東京五輪からパリ五輪へ。歴史が紡がれていく中、パリ五輪の追加種目候補となっているBMXフラットランド。選手の枠を超えて、世界のフラットランドをけん引する内野洋平のキャリア、思いを通してフラットランドの魅力に迫る。

Cheer up! アスリート2020!

もっと高く、もっと上へ。

 2020年東京五輪の次の夏季五輪、2024年パリ五輪の追加種目として有力視されるBMXフリースタイルのフラットランド。注目度が増しているフラットランドにおいて、日本は強豪国の1つ。なぜなら日本には、世界王者に10度輝いた内野洋平がいる。

「僕がBMXを始めた時、ストリート系競技は本当に肩身が狭かったです(笑)。それが東京五輪でBMXのパーク、同じストリート系のスケボー(スケートボード)が新種目として採用され、時代が変わっていく姿を見られるのに興奮しますね。これから生まれる子は、BMXやスケボーが五輪競技として行われるのが当たり前になりますから」

 これまで速さを競う種目のみだった自転車競技で、トリック(ジャンプ、空中動作など)の点数を競う採点競技であるパークの採用は、革新的な意味を持つ。同じく採点競技であるフラットランド採用の追い風に。それぞれで異なる魅力が楽しめる。

(BMXの)2種目は全然違います。フラットランドは“アート”。フィギュアスケートに近いと思います。2人の選手が同じ技をしたとしても、この選手の方がカッコイイ、得点が高い…など。パークを一言でいうと〝極限〟。自転車を何回転回するかなどがポイントになるので、スノーボードのビッグエアに似ています」

Cheer up! アスリート2020!

 フラットランドとの出会いは、自身が「しょうもなくて、記事にするようなもんじゃない」と笑う展開。当時の状況が、“ウッチースピン”と呼ばれる、オリジナル技を生み出す土壌となった。

「高校生の時に、スケボーのファッションが女性に大人気って雑誌に書いてあったんです。それでスケボーを始めようということで、スケボーのイベントを見に行ったら、その情報が間違っていて、BMXのイベントでした(笑)。結局、BMXのカッコ良さに驚いて、友達と始めたんです。当時はYouTubeもなくて、雑誌に載っているシークエンス(順序)を見るんですけど、画像と画像の間の展開がどうなっているのかが分からなくて…。色々想像してやりましたが、実際は全然違いました(笑)。でも、いい意味で独創的になって楽しんでいましたね」

Cheer up! アスリート2020!

 自転車が2輪車である以上、スタイルはフロント(前輪)とリア(後輪)のどちらかしかない。この二つの感覚の違いは大きいが、内野はあえて変更している。

「もともと、僕はフロントでした。05年に日本一になって、その勢いで世界大会に行ったら予選落ち。世界のレベルの高さを知り、日本に帰ってきて、スタイルチェンジを決意しました。というのも、当時はフロントの選手が95%くらい、リアは5%くらい。リアの方が技がたくさん眠っていると思ったんです。そうしたらリアの技をたくさん思いついて(笑)。ただ、フロントとリアでは感覚が全然違いますし、リアではアマチュアみたいなものだったので、約3年閉じこもってひたすら練習していましたね」

 約3年の猛特訓を経て、内野が再び世界の舞台に戻ると…。

「05年に感じた世界との距離感が縮まったと感じたのが08年で、もう1回勝負しようと大会に出場しました。3年でみんなもうまくなっているはずなので、本当に縮まっているのか、それとも広がっているのかと思ったら、その距離を飛び越えていて優勝。世界一になりました(笑)。大会に勝っても負けても泣いたりしないんですけど、この時だけは違いました。ホテルに戻って、親に電話した時に泣きましたね」

Cheer up! アスリート2020!

 その後、何度も世界の頂点に立つが、フラットランドへの影響力は、選手の枠を超えていく。

「BMXのスクールを開いているライダーはたくさんいるので、僕にできることをしたいと思いました。フラットランドの世界大会、『FLATARK』の第1回(2013年)を、自分のスポンサーさんから少しずつ出資してもらって、800万で開催したんです。今では『FLATARK』が、フラットランドで一番大きな世界大会になって、スケボー、ブレイキン(ブレイクダンス)の三つの世界大会が行われる『ARK LEAGUE』になりました。規模が大きくなり、今は運営を他の人に任せてオーガナイザーとして携わっています」

 内野の歩みと、日本のBMXフラットランドの歴史はリンクしている。そんな内野にとって、BMXとはどんな存在なのか?

「僕にとってBMXとは、自己表現できるもの。選手寿命が長いですし、50歳ぐらいまではやっているでしょうね。さすがに60歳で、鉄の塊をぶん回す姿は想像できないですけど(笑)」

 5年後の24年、パリの地でまだまだ現役の内野が、最高のパフォーマンスで世界から喝采を浴びる姿を見られそうだ。

Cheer up! アスリート2020!

【TVガイドからQuestion】

Q1 印象に残っているスポーツ名場面を教えて!
フィギュアスケートもよく見るし、卓球も好きなんですけど、最近ではカーリング。平昌五輪で初メダルを取った時ですね。結構、勝負に運が影響していて、メダルが決まった瞬間は相手のミスだったので、相当やばかったですね。

Q2 好きなTV番組/音楽を教えて!
音楽はヒップホップ。エミネムが好きですね。世界中の人が知っているのに、アングラから指示されるのがすごい。テレビは、やっぱり「しゃべくり007」(日本テレビ系)が面白いです。上田(晋也)さん、有田(哲平)さんが特に好きです。

Q3 “2020”にちなんで、“20”歳の自分が今の自分を見たとしたら?
「もっと頑張れ!」って言うでしょうね。20歳で上京した時は、すごい野望を持っていたので(笑)。個人的には世界王者に10度なりましたけど、FLATARKの規模を世界的に、もっと大きくしていきたいですね。

Cheer up! アスリート2020!

【BMXフラットランドとは?】
五輪の自転車競技では、トラック、オンロード、オフロードと速さを競う種目が行われてきたが、東京五輪でBMXフリースタイルのパークが追加。採点種目が加わり、自転車競技の多様化が進んでいる。パリ五輪で採用有力なフラットランドは、舗装された平らな地面で、BMXを駆使して行う種目。旋回などのさまざまな技を披露し、その難易度や独創性、流れなどを採点して競う。種目の特徴から、フィギュアスケートや社交ダンスに例えられることもある。

【プロフィール】

内野洋平(うちの ようへい)

1982年9月12日兵庫生まれ。乙女座。O型。

▶︎高校時代にBMXフラットランドに出会う。「師匠の『お前は世界一になれる』という言葉を真に受けて頑張りました」と語り、2005年には史上最年少の22歳で日本チャンピオンになる。

▶︎同年の世界大会で壁にぶち当たり、スタイルを変更することを決意。08年に世界一に輝く。

▶︎12年~14年は、自身でも「無敵状態でした」と語るほどの強さを発揮し、世界大会3連覇を成し遂げる。

▶︎13年には、自らが中心となり新たな世界大会「FLATARK」を開催。16年の「FLATARK」では名勝負との呼び声高い、マティアス・ダンドワとの戦いを、「トランス状態に入っていた」という状態で制し、9度目となる世界タイトルを獲得。

▶︎19年の「FLATARK」では、決勝の大一番でニュートリックを成功させ、10度目の世界タイトルを獲得した。

取材・文/山木敦 撮影/山下隼



この記事をシェアする


Copyright © TV Guide. All rights reserved.