映画『「生きる」大川小学校津波裁判を闘った人たち』の寺田和弘監督「人ごとにせず自分事に…大川小学校にたまに行ってくれるとうれしい」2024/03/30
2011年3月11日に発生した東日本大震災で、宮城県石巻市立大川小学校の児童74人と10人の教職員が犠牲になりました。地震発生から津波到達までは約51分、ラジオや行政の防災無線で情報は学校側にも伝わり、スクールバスも待機していたにもかかわらず、大川小学校だけが多くの犠牲者を出したのはなぜか。その事実や理由について行政からの説明に疑問を抱いた一部の親たちが、真実を求めて提訴に至ります。
わずか2人の弁護団で、「子どもの命に値段を付けるのか」など多くの誹謗(ひぼう)中傷を浴びせられる中、親たちは“わが子の代理人”となって証拠集めに奔走します。親たちが延べ10年にわたって記録した1000ギガの膨大な映像を基に、寺田和弘監督が追加撮影を行い、ドキュメンタリー映画として完成させました。その映画『「生きる」大川小学校津波裁判を闘った人たち』で2023年に第78回毎日映画コンクールドキュメンタリー映画賞を受賞した寺田監督が、思いの丈を語ってくれました。
———映画では監督の気配が一切しなかったのですが、製作に当たって気を付けた点はありますでしょうか?
「映画製作のきっかけは訴訟の弁護団長で旧知の吉岡和弘弁護士から『遺族たちの裁判での活動を記録に残せないか?』という1本の電話でした。今まで震災の取材を行っていたわけでもなく、遺族との関係性はゼロからのスタートだったので、自分への信頼は全くなかった。遺族の方たちへ長年取材を続けてきたメディアや、吉岡弁護士と齋藤雅弘弁護士の2人の弁護団との信頼関係はすごく強固なものがあったので、そこの関係を崩さない形でその場にいさせていただくとことに注力しました。だから僕の存在は全く消えていていいのです。過度な演出はせず、特定の悪者を作らず、冷静に見てもらうため怒りを抑制し、メッセージを届けることにただただフォーカスしました」
———どうしても届けたかったというメッセージとは?
「遺族がずっと求めてきているのは事件の背景の原因。本当の本当のことを知りたくて、それを開示できるのは行政(石巻市教育委員会)しかいない。『なんで遠藤先生(生存した唯一の先生)のメールを消したの?』『どうして最初の遠藤先生は正しい発言をしているのに1カ月後に変わったの?』などたくさんの“なんで?”は彼らしか解明できないことで、行政が判決を受け止めて変わるべきことなんです。毎日映画コンクールの授賞式でも言ったのですが、『少し肩の荷が下りました。それはなぜかというと、遺族のこれまでの活動に多くの人が共感していただけたという証拠だろうと確信できたからです。なぜ少しだけかと言うと、遺族の“なぜわが子が学校で死ななければならなかったのか、その背景には何があったのか”という最大の疑問への責務を果たすべき行政が、裁判で責任が認められても全く動いてなく、1mmも進んでいないからです。この栄えある賞が動かぬ行政の対応に変化をもたらすことを強く期待します』と。今なお動かぬ行政の対応に変化をもたらすために何がきっかけになるか分からないですが、僕たち社会はずっとノックをし続ける必要性があるのです」
———「生きる」のタイトルのゆえんはなんですか?
「遺族たちが映画製作へ願うことは、“前を向いている自分たちの姿を描いてもらいたい”でした。僕はとても鈍感なのか、遺族たちが前を見て生きていると製作中は最後の最後まで確信ができなかったのですが、ある撮影中に遺族の1人の方が『生きたい』と言ったように聞こえたんです。それまでは学校で子どもの名札を見るシーンで映画を終えようとしていたのですが、その声を聞いたので、今までの撮影や出来事を思い返してみました。そうしているうちに、あるお父さんが高校生たちの前で『生きたい』『亡くなった子どもの分の人生を生きる』とメッセージを発していたのに気付きました。それでラストシーンを変え、最後の最後に『生きる』というタイトルを付けました。『生きる』にかぎかっこが付いているのですが、僕たちが遺族に生きてほしいという言葉でなく、遺族の言葉として彼らが主語で『生きる』ということ(気持ち)が出てきたんです。遺族ごとにその気持ちの強さは異なり、このような気持ちになっていない方もいらっしゃるけど、映画製作の一つの結論として、ちっちゃいけど『生きる』という気持ちを持っている人がいるということが事実だと確信できたので、このタイトルにしました」
———“私たちにできること”はありますか?
「たくさんあります。今回映画を見て、大川小学校に来てくれた人がかなりいるんです。震災の語り部である紫桃隆洋さんや只野英昭さんが大川小学校にいて、話しているうちに『もしかして映画見てくれました?』とつながり、映画を見るだけでなく、こんなに便の悪い遠い所まで来てくれたんだと彼らは喜ぶんです。逆に只野さんが語り部として知っていて、映画のトークショーに出るから会いに行くという方もいて、上映後のサイン会の時に『実は大川小学校で会った…』と言うと、『あーあの時の! ありがとうございます!』と再会があったり。また、災害の時にボランティアでお世話になったけれど、一人一人にお礼を言えず悔やんでいたある遺族が、愛知・名古屋での舞台あいさつで『あの時の感謝を伝えたくてきました』と話したら、そのボランティアの方が本人を探してやって来てくれたこともあったんです。本当に温かい人とのつながりに遺族は救われているので、できることはいっぱいあります」
———最後に監督からメッセージはありますか?
「大川小学校であの日何が起きたのか事実は分からないけど、あの日以降起こった事実は映画を見たら分かる。その上で世論が形成され、行政を動かせたらもっといいです。さらに言うと、控訴審判決が組織的化することを願います。今までの裁判は自然災害に勝てなかったんですよ。自然災害はいつ起こるか分からないので難しかったのですが、今回の裁判で、現場の人たちだけでなく、災害が起こる前から責任ある団体やポジションに就いた人たちが、避難の準備をしておく責任があるということが認められたんです。例えば北海道・知床の遊覧船の事故も、若い船長が問題なのか、会社なのか、国交省なのかと議論になってもよかったのです。これは市民の世論なので、学校や市民生活で議論してもいいこと。大川小学校の事件を基に、いろいろな出来事を自分事として捉えることが理想です。教育委員会も責められているのではなく、これからどう生かすかをやってほしい。これから二つやることがある。真相の究明とこれからの命をどう守るか。メディアの取材は渦中の時はたくさん現場に来るけど、終わったらサーッと一斉に引いてしまいます。遺族の方は取材を受けたいわけではないけど、一気にいなくなると社会から取り残された感覚になる。なので、まずは大川小学校にたまに行ってくれると遺族はうれしいですし、励みになります」
初めて筆者が縁があってこの映画を見た時、あまりの出来事に涙が止まりませんでした。そして、2回目に見た時は、また同じ悔しさと涙は出てきたのですが、まずは自分に何ができるかを考えました。微力ながらこの映画を世の中に広めて、二度と同じ事が起きないよう働きかけること。そして、人を大切に、時間を大事に、一日一日を一生懸命生き抜こうと決意した次第です。
最後に祈りを込めて、二審仙台高裁での判決で裁判官が述べた言葉で終わらせていただきます。
「学校が子どもの最後の場所になってはならない」。
【プロフィール】
寺田和弘(てらだかずひろ)
1971年、兵庫県神戸市出身。90年、神戸高塚高校卒業。99年から2010年までテレビ朝日「サンデープロジェクト」特集班ディレクターを務める。11年から番組制作会社パオネットワークで、主に社会問題を中心に番組制作を行う。受賞作は「シリーズ言論は大丈夫か~ビラ配り逮捕と公安~」(2006年JCJ賞)、「DNA鑑定の闇~捜査機関“独占”の危険性~」(2015年テレメンタリー年間最優秀賞・ギャラクシー賞奨励賞)。本作『「生きる」大川小学校津波裁判を闘った人たち』が、長編ドキュメンタリー映画初監督作品。現在、台湾先住民についての新作ドキュメンタリーも撮影を進めており、クラウドファンディングも実施中。(https://for-good.net/project/1000458)
【作品情報】
映画『「生きる」大川小学校津波裁判を闘った人たち』
CINEMAChupkiTABATA(シネマ・チュプキ・タバタ)
~3月31日(日)午前10:00〜午後0:09 ※<字幕・手話合成版>上映
●自主上映会も随時開催
・神奈川県・横須賀市文化会館
4月14日(日)午後1:00~
○トーク・イベント情報○
上映後 原告遺族・紫桃隆洋さん、齋藤雅弘弁護士、寺田和弘監督
https://ikiru-okawafilm.com/
取材・文・撮影/平野純子(NHK Eテレ担当)
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