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【創刊60周年記念 平成令和編集長対談③】インターネットの登場で「TVガイド」の誌面作りはどう変わったか?2022/08/17

「平成・令和のTVガイドの作り方」編集長スペシャル対談③/誌面作りのデジタル化

 この8月に「TVガイド」が創刊60周年を迎えたことを記念して、1998~99年に編集長を務めた武内朗と、2019~22年まで編集長を務めた塚本泰介の両編集長が語る、知られざる「TVガイド」の歴史を全4回のスペシャル対談で特集。第1回「TVガイドの変容」(https://www.tvguide.or.jp/feature/feature-1679781/)、第2回「ジャニーズ表紙の歴史」(https://www.tvguide.or.jp/feature/feature-1682204/)に続き、第3回となる今回は「誌面作りのデジタル化」をテーマに語ります。

誌面での撮影の変化

武内 「ハード面もだいぶ変わったよね。90年代はまだ手書きだもんね。だんだんとワープロが導入されて、フロッピー入稿が始まっていって。と言っても、ワープロは1人1台はなかったからね。みんなで使い回す感じで。で、そろそろメールが出てき始めて。2000年代に入ってインターネットが普通になってくる」

塚本 「僕の時もまだ、フロッピーディスクなどを使ったデータの入稿がありましたね」

武内 「そうでしょ。2000年代はまだそんな感じだよね」

塚本 「そうですね。2010年代にガラッと変わっていきましたね。スマートフォンの登場や、地デジ化などの影響も大きかったと思います」

武内 「テレビもデジタルで変わったからね」

塚本 「雑誌に載せる素材についてもお伺いしたいです。現在は完全にテレビ局の広報からデジタルデータが提供されるようになってるんですけれど、その当時は、どうやって写真を集められていましたか」

武内 「局提供の写真に関しては、各テレビ局の担当者が紙焼き写真を取りに行っていた。ベタ焼きの欲しい写真にマルをつけたりして。あと、その当時は主だったドラマの現場には必ずカメラマンを入れてたからね」

塚本 「令和はコロナがあってその状況が一変したんです。それまでは注目ドラマだったりとか、人気タレントのドラマはカメラを現場に入れるというやり方が残っていたんですが、コロナ禍で各局すべて注意を払って収録をやっている訳で、簡単には取材でお邪魔できない、というようになりましたね」

武内 「また、インターネットの台頭もあって、テレビ誌を使わずともテレビ局が自分たちで番組を発信・拡散することが簡単になっていったというのもあるだろうね」

塚本 「取材の形式はどうだったんですか? 僕らの時代はタレント事務所から直接時間をもらって表紙の撮影をすることもあるんですが、テレビ局が主体でドラマがメインだった時は、ドラマの撮影の合間で撮るんですか?」

武内 「そうね。今も同じだと思うけど、番組宣伝用にテレビ局がタレントの時間を持っていて、そこで取材させていただく。でも、90年代あたりは、『TVガイド』とか週刊のテレビ誌はよくしてもらっていて、特別に時間を融通してもらっていたところはあったかもしれないね。無理を言ってリハーサルの合間に10分とか。収録の合間に5分とか」

塚本 「それでも5分とかだったんですか。それは今の撮影でもありますね。撮影は、今はスタジオで撮ることも多いですが、昔は会議室とかだったわけじゃないですか。機材などはどうしていましたか?」

武内 「まあ、収録の合間だからね。スタジオに移動したりする時間はなかった。局の会議室をお借りしたり、打ち合わせ室に機材持ち込んだりして。緑山スタジオとか生田スタジオ(ともに神奈川)とか、渋谷ビデオスタジオ(東京)とか。随分お世話になったよね。表紙はともかく、今みたいに大きなサイズのカラーグラビアでアピールしていくという誌面作りじゃなかったからできたというところもあるかもね。サイズもA5だったし。モノクロのグラビアなんかもあったからね」

撮影での失敗談

「平成・令和のTVガイドの作り方」編集長スペシャル対談③/誌面作りのデジタル化

塚本 「その当時の取材で記憶に残っているエピソードはありますか?」

武内 「これは僕自身の失敗なんだけど、ある女優さんの撮影で、汐留のガード下で撮影をしようということになって。今では日本テレビが移転してきたり、すっかり様変わりしてるけど、当時はあまり人通りもない感じのところで。まあ、冷静に考えればそんなところで撮らなきゃいいんだけどね。モノクロのグラビアだし、当時はちょっとクールでいいかもなんて思ったんだよ。若かったし。それで自分で地図を書いて、赤丸つけてFAXで送って」

塚本 「手書きで地図書かなきゃいけなかったんですね」

武内 「そうしたら、その地図が分かりづらかったみたいで、先方が道を挟んだ反対側でタクシー降りちゃって。あそこ高速もあるし、そう簡単に横断できないんだよ。もう横断歩道までものすごく遠回りしてその女優さんを歩かせるはめになって。マネジャーさん、カンカンで。『うちの○○をなんだと思ってるんですか!』ってこっぴどく怒られた(笑)。お願いしてたベテランのライターさんがたまたま先方と顔見知りだったんで、なんとか誌面にできたけど、あの時は凹んだよ」

塚本 「その当時らしいエピソードですね。今は先方に場所を教えるとしたら、その場所のURLをつけてメールをすればいいだけなので」

武内 「それでいうと企画書を書くという文化もその当時はなかったな。今は、ちょっとしたことでも企画書が必要だったりするよね。その当時は口約束というか、表紙とかでも電話でお願いして、時間が出てきてっていうことも多かった気がする」

塚本 「今は企画書を書かないと何も始まらないですよね。それはだいぶ違うところかもしれないですね」

 次回が最終回となる「平成・令和の編集長対談」第4回は、8月24日に公開予定。テーマは「これからのテレビ」。

【プロフィール】

武内朗(たけうち あきら) 
1986年入社。「TVガイド」編集部に90年に配属。その後、「TV Bros.」編集長などを経て、98年に「TVガイド」編集長に(~99年)。


塚本泰介(つかもと たいすけ) 
2003年入社。「TVガイド」編集部に05年に配属され、その後、「月刊TVガイド」など他媒体の編集部を経て、19年に「TVガイド」の編集長に(~22年4月)。

撮影/蓮尾美智子



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