浅田真央、フィギュアスケートは「私の人生」 涙をこらえ、笑顔で今の思いを語った引退発表会見2017/04/13
浅田真央さんの引退発表会見が行われ、およそ430人の報道陣が集まるなか、約50分にわたって、引退を決断した経緯やこれまでの競技人生、そして今後について語りました。この日は白いジャケットにブラウス、黒いスカート姿で登壇した浅田さん。「黒いスーツと迷いましたが、今の自分としてはすごく晴れやかな気持ちなので白を着ました」と言うように、清々しい表情と笑顔で、質問する記者一人ひとりに体を向けながら答えていました。
(以下、質疑応答抜粋)
── ブログで引退を発表してから2日。色々な人から声を掛けられたと思いますが、印象に残った言葉はありますか?
「発表してからはたくさんの方に連絡をもらったんですけど、皆さん『お疲れさま』って言葉をかけてくださったので、私自身も“あぁ、選手生活が終わるんだな“という気持ちになりました」
── 引退を決めたきっかけについて教えてください。
「(ソチオリンピック後)復帰してから良い形でスタートできたんですけど、そこから練習するにつれて、試合に出るにつれて、今のスケート界の時代はすごいので、私自身もついていけるかなという思いが強くなったり、気持ちだったり体の部分で、復帰前よりもつらいことのほうが多くなりました。1シーズンは乗り切れたんですけど、2シーズン目からは、なんとかなんとか頑張ろうっていう思いだけでやってきて…でも最後の全日本選手権で、“もういいんじゃないかな”っていうふうに思いました」
── その全日本選手権から引退発表まで3カ月近く、どんな思いでしたか?
「復帰してから、自分がずっと掲げてきた平昌オリンピックに出るという目標があったので、それをやり遂げなければいけないと思っていたし、自分が言ってしまったこととの葛藤はありましたね。全日本選手権が終わって、すべて結果が出た時に“あぁ、もう終わったんだな”と思いましたが、日が経つにつれて、自分が言ってきたことは今までずっとやり通してきたので、(平昌オリンピックに向けて)最後までやらなきゃいけないんじゃないかという思いのほうが強くて、ここまで延びてしまいました」
── オリンピックへの思いを上回る達成感があったということですか?
「ソチオリンピックから最高の形で終えることができて、自分としては体も気持ちもまだまだやれると思いがあったので復帰しました。でも実際に挑戦してみて、もう気持ちも体も自分の気力も全部出し切ったので、今は挑戦して何も悔いはないです」
── 初めてスケート靴を履いた日のことを憶えていますか?
「私は憶えていないんですけど…5歳だったので。でもヘルメットをかぶって、スキーウエアを着て、肘当て・膝当てをして滑っているのが写真に残っているので、それは憶えています。フィギュアスケートっていくつも技があるんですけど、小さい頃に、その技ができるようになった時は、本当に楽しい気持ちで、じゃあ次は2回転飛びたい、3回転飛びたいって…そういう思いが楽しかったです。逆につらかったことは、そんなになくて、自分がやりたいと思って、望んでやってきた道なので、つらいと思ったことはありません」
── 2回のオリンピックを振り返っていかがですか?
「バンクーバーオリンピックは19歳だったんですけど、10代で若くて本当に気が強くて、その強い気持ちだけで乗り越えてきたなという感じでした。ソチオリンピックはショート(プログラム)が残念な結果だったので、気持ち的にはつらい試合ではあったんですけど、フリーで最高の演技で終えることができて、バンクーバーからソチへの4年間の思いを、すべてあの4分間に注ぎ込めたかなと思っています。オリンピックは、私の今後の人生においてもいい経験、いい思い出になったと思います」
── 3度の世界選手権優勝は、日本人最多です
「(最初と次の)2回の世界選手権で金メダルを獲った時は、2回ともオリンピックのあとの世界選手権だったので、オリンピックの悔しさを晴らせた大会だったかなと思うんですけど、最後の世界選手権は、自分の気持ちとしては“最後”と思って臨んだので、今までのスケート人生をすべてプログラムにぶつけた試合だったんです。ですから、やはり最後の世界選手権が、一番思い入れは強い試合でした」
── 現役生活で最も印象の残っている演技は?
「うーん…難しいですね。でもやっぱりソチ(オリンピック)のフリーかなって思います。気持ちの面で今までの試合以上に落ち込んでいた部分もあったんですけど、あれだけの挽回の演技ができたことに関して、それがソチオリンピックだったっていうのが、よかったのかなと思います」
── 浅田さんといえばトリプルアクセルかと。自身にとってはどんなものですか?
「私は伊藤みどりさんのようなトリプルアクセルを跳びたいと思って、ずっとその夢を追ってやってきましたので跳べた時は嬉しかったですし、自分の強さであったと思います。でもその半面、悩まされることも多かったです。トリプルアクセルに声を掛けるとしたら…ですか? トリプルアクセルに声を掛けるんですか(笑)!? なんだろう、“なんでもっと簡単に跳ばせてくれないの?”って感じです(笑)」
── 今後については?
「もうすぐ夏にあるのが、『THE ICE(ザ・アイス)』というアイスショーです。選手生活を終えて初めて皆さんの前で滑るので、いい演技を目指して頑張りたいなと。やはり私は5歳からスケートを始めて、今までスケートにお世話になりました。これからどんな形であってもフィギュアスケートに恩返しができるような活動をしていきたいと思っています」
── フィギュアスケートは浅田さんにとってどんな存在ですか?
「存在…難しいですけど、一言でいうと“人生”かなと思います。私、結構すぐに飽きてしまう性格なんですけど、でもスケートは5歳から26歳まで続けてこられたので(自分を褒めるとしたら)“長い間すごいね、続けてたね”って言いたいです。私のすべてが、スケート中心の生活だったので、本当に私の人生です」
── もし生まれ変わったらまたフィギュアスケーターになりたいですか?
「今こうして26歳までスケートをやって、すべてやり切ってもう何も悔いはないのでもう一度人生があるなら、スケートの道は歩まないと思います。なんだろう…食べることが大好きなので(笑)ケーキ屋さんとかカフェとか、やっているのかなと思います(笑)」
── ファンの皆さんへメッセージを。
「たくさんのファンの方が応援してくださって、長い間、良いときも悪いときも諦めずに応援してくれたので、それが励みになりましたし、パワーになりました。本当に感謝しています。ありがとうございました」
最後の挨拶では、席から立ち、笑顔で「皆さん、今日はありがとうございました」と語り始めた浅田さんでしたが、「(引退を)発表してからこの2日間温かいお言葉を頂いて、晴れやかな気持ちで引退を迎えることができました」と言うと、こみ上げてくる思いに目を潤ませ、途中2回、くるっと後ろを向き、指でそっと涙を拭う姿も。「スケート人生で経験したことを忘れず、笑顔で前に進んで行きたいと思っています。皆さん、応援ありがとうございました」── その言葉通り、一度決めたことは貫く浅田さんの信念の通り、最後の最後、退場の扉が閉まるまでカメラに泣き顔を見せず、笑顔で手を振り続けていました。浅田真央さん、21年間お疲れさまでした。そして感動をありがとうございました!
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「KISS&CRY」シリーズは、日本のフィギュアスケーターのみなさんをフィーチャーし、その「戦う」姿、「演じる」姿を合計50ページ超のグラビアでお届けしています。つま先から指先・その表情まで、彼らの魅力を存分に伝えます。また、関連番組TVオンエアスケジュールも掲載。TVの前で、そして現地で応援するフィギュアスケートファン必携のビジュアルブックです。
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