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水谷豊が「熱中時代2・先生編」の北野広大を通して伝えたいメッセージとは?2024/08/02

「熱中時代2・先生編」水谷豊

 感動の最終回を迎えた「熱中時代」(1978年/日本テレビ系)から1年半後の続編「熱中時代2・先生編」(80年/日本テレビ系)が、8月3日よりBS松竹東急で放送される。第1シリーズよりやや成長した小学校の教師・北野広大が、悪戦苦闘しながら“人生を前向きに生きる力”を与えてくれる、心温まる物語。この作品で主演を務めた俳優・水谷豊に、当時の思い出やエピソードなど、「熱中時代」について語ってもらった。

――いよいよ「熱中時代2・先生編」が放送されますね。

「はい。(第1シリーズの放送から)46年も経つ作品ですから、知らない方も当然多いんじゃないですか。そんな作品を今見てもらえるというのは、役者としてはうれしい限りです。よくぞやってくれました、BS松竹東急! と思いますね。僕も毎週土曜日に放送されている第1シリーズを見てますよ。見ていて、すごく楽しいです」

――それは演技など何か反省することもなく、純粋に楽しまれているのでしょうか?

「さすがに今はもう反省しないです(笑)。純粋にドラマとして楽しんでますね。大体過去の作品を見ると、よくやっているなと思うものが多いです。別に、すごいとは思わないですよ、自分がやっていることですから。当時あんなに大勢の方々が楽しんでいたんだなとは思いますけど」

「熱中時代2・先生編」水谷豊

――「熱中時代」が始まった当時のことは、覚えてらっしゃいますか?

「実は『熱中時代』の前に『オレの愛妻物語』(78年)というコメディー作品をやってたんです。大竹しのぶさんと夫婦役で。それまでの僕は『傷だらけの天使』(74年/ともに日本テレビ系)に代表されるように不良の役が多かったんですが、『オレの愛妻物語』をやった後、その演出家の田中知己さんが、僕の明るいコメディー性を生かした作品を作ろうと、しかも大勢の子どもとやると僕の面白さが発揮できると考えてくれて。それが『熱中時代』になるわけです。ただ、番組を決める御前会議で、ほとんどの役員がこの企画に反対したんですね。『水谷豊って、不良じゃないか? 小学生と一緒に半年間のドラマなんて無理だ』って。そんな役員の中で1人だけ『田中が水谷豊でやりたいって言っているんだから、やらせりゃいいじゃないか』と言ってくれた人がいて。もしその人の一言がなかったら『熱中時代』はなかった。そんなスリリングな始まりでしたね」

――では、その当時の「不良」のイメージは、「熱中時代」で払拭できたということですね?

「そうですね。実際に『熱中時代』をやったことで、多くの人たちから『あいつは不良役だけじゃない』と思っていただけたようで。僕のイメージがガラッと変わった作品だと思います。それまで“PTAに嫌われる俳優”のベスト3に入っていたのに、『熱中時代』をやることによって好感度1位の俳優になったという。これは不思議な現象でした(笑)」

「熱中時代2・先生編」水谷豊

――水谷さんが演じられた北野先生は“理想の教師像”とも言われますが、演じる際に気を付けた点は?

「学校には“先生と生徒”“大人と子ども”という関係性がありますが、それ以前に“人としての付き合い”というのもありますよね。ついつい忘れがちだけど、これは忘れないようにしようと。別にプロデューサーや監督から指示されたわけではなく、そういうふうに思っていましたね。また、どの役もそうですけれど、自分の中にないものを出すのは無理ですからね。北野広大を演じる時には、自分の中にある明るいキャラクターの部分を出して演じていました。あとは(北野が)北海道出身なので、ちょっと北海道のニュアンスを入れてキャラクターを作ったと思います」

――北野広大を演じる上で参考にした先生はいらっしゃいますか?

「高校1年時の担任の先生が、の~んびりしゃべる方だったんです。『○○だなぁ』『お母さん、元気かぁ?』って。このニュアンスが好きでね。また、高校2年時の担任の先生は、黒板に何か書いて振り返りざまに『いっか~?』って言うんです。これも好きで、よくまねしてました。そんな自分が好きだった先生の要素を北野広大にも取り入れています。高校時代の同級生は、ドラマを見て気付いたかもしれませんね(笑)」

――実際このドラマが放送されて、教育現場の方からの反響もありましたか?

「ありましたね。僕の同級生が小学校の先生になって、その彼が僕に『水谷みたいな先生になりたくてさ』って言うんですよ(笑)。『なんで俺みたいな先生に?』って思ったけど、周りから見ると“目指したい先生”に見えたんでしょうね。あのドラマを見て先生になったという方にも随分お会いしましたが、『そう、悪いことしたね』って思ったり(笑)。まぁ『熱中時代』の世界は一つの理想ですよね。理想を追うことは素晴らしいことだけど、現実はああはいかないこともあるんですよ。だから理想だけに走りたくなくて、現実の厳しさみたいなものも、少し取り入れたいなと思っていました。そういう意味ではPTAや教育委員会の在り方などにも少し触れた部分があって、その辺のバランスは取れていたかなと」

――「熱中時代」が社会現象を起こすほどのヒットになって、どう感じられましたか?

「ヒットする作品って、そもそもそこまで(ヒットを)想像していないですよね。視聴率40%を超えることなんて想像して作っていないわけです。こういう現象が起きるのは、視聴者それぞれがドラマを見ながら自分の世界を作っていける、そこまで興味を持って見てくれているからこそヒットするんだと思います。例えば、当時の小学校2年生が3年生になる時に(北野が第1シリーズで担任した)3年4組になった子どもたちが『やった!』って喜んだそうです。でも、担任が入ってきたら北野先生じゃなかったと(笑)。そういうことが全国で実際に起きていたというんですね。そんなふうに、現実とはちょっと違う世界を子どもたちが自分で作っていたという。そんな話を当時聞きましたね」

――ヒット作になった時、最初の御前会議で反対されていた皆さんに「どんなもんだい」という気持ちになりましたか?

「どんなもんだいって……ちょっとそんな感じもありましたけども(笑)。何かの時に僕は言っていますが、常にいいメンバーと会って仕事をしたいと思っているんです。ドラマで言うとプロデューサー、脚本、監督と俳優ですね。大きく分けてこの四つがそろえば大ヒットすると思います。三つそろえばヒットする可能性もある、二つでもドラマはできる、でも一つじゃできないと。これがね、ヒットしている作品を振り返ると、そろっているんです。いつもそうなりたくて集まってるつもりだけど、なかなか四つはそろわない。そろうのは、ある種奇跡の集大成だと思います」

「熱中時代2・先生編」水谷豊

――生徒役で共演された子どもたちとのエピソードがあれば教えてください。

「子どもは割と好きですから、大変なことは何もなかったんですけど……。子どもたちも最初は子どもなりに緊張していたと思うけど、やっぱり環境に慣れるのは早かったですね。ある時、こんなエピソードがありました。授業のシーンが始まる前、僕が教卓にいたら、女の子が2人来てね。『私たち先生に謝りたいことがあります』と言うんです。何かと思ったら『私たち、最初の頃、先生役は草刈正雄がいいって言ってました。でも今は先生でいいと思ってます。すみませんでした』って(笑)。またある時は『先生、別のスタジオに○○さんという有名人が来てますけど、一緒に行ってくれませんか?』って言うんです。『ダメだよ。これから授業だから』と言ったら、その子たち、『先生は有名人を見たくないんですか?』だって(笑)」

――第1シリーズの最終回は日本中が涙した“伝説回”と言われますが、思い出は何かありますか?

「最終回はある程度セリフはあるんだけれども、『あとはもう感じたことをしゃべってください』と言われて。ずっと1カットで、子どもたちに通信簿を渡して声を掛けていくんですね。半年間付き合った中で、それぞれの生徒に感じていることがあったので、それを話しながらやっていたら、子どもたちはもう撮影してることを忘れてしまったような状態だったと思います。最後にみんな泣き始めるんですけども、これがね、カットがかかっても泣き止まないんですよ。最後のシーンが終わっても、みんなの泣き声がゴーーーって聞こえるんです。そういう強烈な思い出があります」

――第1シリーズの1年半後に第2シリーズが始まりますね。

「第1シリーズがあれだけヒットしましたからね。やってほしいという声も多かったし、当然もうやらないわけがないという勢いでしたね。船越英二さん、草笛光子さんら前作からのレギュラー陣に加えて、新たに秋野太作さん、木内みどりさんらも加わりました。『相棒』(テレビ朝日系)もそうですが、『熱中時代』もシリアスとコメディーの両方できるというのが、僕の好きなところなんですね。そういう意味では(演出の)田中さんが、シリアスもコメディーもできる共演者の皆さんをキャスティングしてくれてよかったと思います」

――第1シリーズでは、生徒と一緒に教師として成長していく北野先生が描かれましたが、第2シリーズではどういう気持ちで演じられましたか?

「難しかったですね、第2シリーズは。とにかく最初と同じでは、成長も何もしてないということなのでおかしいと。どのくらい成長しているんだろうというところが、制作者みんなのテーマだったと思います。なおかつ(担任する)生徒を3年生から2年生に下げました。3年生よりもさらに小さな子どもたちに、北野広大がどう接して、どんな色を付けていくんだろうっていう、そんな第2シリーズでした」

――北野広大という役を演じて、水谷さんが影響を受けたところは?

「何って考えたことはないですけれども、(影響を)受けていないわけはないですよね、あれだけの経験をすると。やはり芝居もそうですし、芝居を離れたところでの皆さんとの出会いもそうですし。今こうしていられるのは、あの役があってのことだと思うことも多いです。今も覚えているのは、船越さん演じる校長先生の『誰もが子どもだった』というセリフ。これはとても心に沁みています」

「熱中時代2・先生編」水谷豊

――今、北野先生をまた演じてくださいと言われたら…?

「いや、それはもうダメでしょう。(北野は)校長先生になったかどうかは分かりませんが、もう退職してしばらく経つんじゃないかな? 教え子が校長になっていてもおかしくない年代ですから。そりゃそうですよ。僕、何歳だかご存じでしょう? 『相棒』だって、もうそろそろ警視庁を辞めなきゃいけない歳ですからね(笑)」

――これから「熱中時代」シリーズを見ようという若い人たちもいると思いますが、そういう人たちに、北野先生を通じて伝えたいメッセージはありますか?

「特に何かメッセージということもないですけれども。先ほど少し触れましたが、やはり先生と生徒という関係以前に、まず人と人とのつながりですよね。このドラマを見ると、それがよく分かるだろうと思います。これは46年経っても変わらない、今も通じる価値観ですね。今見ても喜んでもらえるのは、そういうものがあるからでしょうね。時代性もありますが、何かほっこりするというか、安心して見られる部分も多いです。ドラマを見て『ああいう世界っていいな』と思ってもらえれば、もうそれで十分です。それと第2シリーズは僕が主題歌(「やさしさ紙芝居」)を歌っていますから(笑)。そこも注目してください」

――ご自身も「熱中時代」を放送で見ているとおっしゃっていましたが、普段から過去の作品をご覧になることは多いのですか?

「いえ、自分の過去作品を見ることは、実はあんまりないんですよ。いつかの楽しみにとっておこうと思って。もうこういう(俳優の)仕事をしなくなって、本当におじいさんになったら、ちょっと自分のものを引っ張り出してきてね。近所の子どもたちを集めて『おじいさん、こんなことやってたんだよ』なんて言ってね。多分そんなことやったら嫌われるでしょうから(笑)、それはやめて。でも歳を取って何もやることがなくなったら、いつか自分で楽しむ時が来るのかなと思っています」

「熱中時代2・先生編」水谷豊


【プロフィール】

「熱中時代2・先生編」水谷豊

水谷豊(みずたに ゆたか)

1952年7月14日生まれ。北海道出身。ドラマ「傷だらけの天使」(74年/日本テレビ系)、「赤い激流」(77年/TBS系)、「刑事貴族」シリーズ(91~92年/日本テレビ系)、「探偵 左文字進」シリーズ(99~2013年/TBS系)、「相棒」シリーズ、「だましゑ歌麿」シリーズ(09~14年/ともにテレビ朝日系)、「居酒屋もへじ」シリーズ(11~17年/TBS系)など俳優として多くの作品に出演するほか、歌手、映画監督などマルチに活躍する。

【番組情報】

「熱中時代2・先生編」水谷豊

「熱中時代2・先生編」
BS松竹東急
8月3日スタート
土曜 午後6:00~8:00(2話連続放送)


「水谷豊が語る『熱中時代』前編/後編」
BS松竹東急
8月2日 午後10:22~10:28 ほか

※BS松竹東急は全国無料放送・BS260ch

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【締切】2024年8月30日(金)正午

取材/TVガイドWeb編集部、水野幸則 文/水野幸則 撮影/尾崎篤志
ヘアメーク/遠山美和子 スタイリング/髙橋正史



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