サンシャインが語る「地獄の3年間」。同期に言えなかった「おめでとう」と寝たふりしたあの朝【ロングインタビュー後編】2023/02/22
2月26日に、5年ぶりとなる単独ライブ「ハイライトサーチライト」を開催する吉本興業所属のお笑いコンビ・サンシャイン。ロングインタビュー後編では、坂田光さん、のぶきよさんのお二人に、男性ブランコ、やさしいズといった同期への思いや、憧れの存在について語ってもらった。(前編はこちら:https://www.tvguide.or.jp/feature/feature-2053451/)
「今までやってきたことは間違ってなかった」
――2013年、結成3年目で「キングオブコント」準決勝進出。以降、優勝を目標に挑戦を続けていらっしゃいますが、印象に残っている年はありますか?
坂田 「ヨシモト∞ホールって、ランキングというか、ピラミッドがあるんですけど、それが5軍くらいまであったんです。当時の一番上にはパンサーさん、ジャングルポケットさんなんかがいて、2軍にはチョコレートプラネットさん、マヂカルラブリーさんが名を連ねていて。激強な時代で、『勝てねぇよ!!』って思いながら、僕らは5軍でくすぶっていたんですけど。2013年、そんな状況の中で初めて僕らが準決勝いけたんですけど、最年少での準決勝進出だったんですよ。そしたら5軍のみんながめっちゃ喜んでくれて。チケットノルマにヒーヒー言ってる、バイトしかしてないような同期の仲間とか、今でこそファイナリストですけど、先輩のいぬさんも同じ5軍にいて、『よくやった!!』って。めちゃくちゃ祝福してくれたんです。それが結構印象に残ってますね。あと……(少し言い淀んで)」
――?
坂田 「あと、僕らにとって『地獄の3年間』があって。2016年から19年にかけてなんですけど、それまで『キングオブコント』で準決勝までいけていたのに、準決勝にいけない年が続いて。劇場のピラミッドでも1軍だったのが、2軍に落ちて」
――シビアなんですね…。
坂田 「吉本って、バトルライブがずっとあるんですよ。それで負けて、落ちて。悔しいし、『うまくいかねぇ…』ってつらい時期もあったんですけど、『もう、やるしかない』って。そこから1年でネタ100本作るって決意したんです。本気で100本作ってたら、久しぶりに2019年に『キングオブコント』で準決勝にいけて。決勝にはいけなかったんですけど、ちゃんと結果がついてきたんです。もちろん僕らだけの力じゃなくて、いろんな方に手伝ってもらったり、ゲストに来てもらっての100本なんですけど。当時、そんなに絡みがなかったんですけど、ジャンポケの斉藤(慎二)さんがわざわざ電話してくれたんですよ。正座して電話取ったら、『めっちゃ良かったな!!』って祝福してくれて。俺、泣きそうになりましたもん」
――自分たちが5軍にいた頃、1軍で輝いていた先輩が喜んでくれて。
坂田 「バリバリの1軍で、テレビにもめちゃくちゃ出ていて。『キングオブコント』も決勝常連だったし、ジャンポケさんは憧れでした。何より、その年すごく手応えがあったんですよ。準決勝が2日間あったんですけど、初日がすげぇ手応えがあって。しかも自分たちがめっちゃ好きなネタでめちゃくちゃ手応えがあったので、『今までやってきたことは間違ってなかった』って思えたのも大きかったです」
同期・やさしいズの躍進と「地獄の3年間」
――のぶきよさんは、いかがですか?
のぶきよ 「さっき坂田が『地獄の3年間』って言ってましたけど、中でも最大に食らった出来事が、同期のやさしいズが初めて決勝にいったことで。2018年かな。もう『うわっ…』って。素直に喜べないし、本当になんか、もう悔しいが100でしかなくて。結果を出してることにも嫉妬したんですけど、それ以上に、『やさしいズは自分たちの武器を見つけられたんだ』って、打ちのめされたんですよ。『じゃあ、自分たちの武器って何だろう?』って考えた時、まっっったく分からなかったんです。僕がネタを作ってないというのもたぶんあったと思うんですけど、コンビの良さだったり、『どうしたらコンビの“色”が出るんだろう』とかも、もはや何から考えたらいいのかさえ分からないまま、ひたすらもがいていた3年間でした。ただただ『どうやったら自分が面白くなれるか』を考えている時期が、とにかくしんどかったです」
――では、やさしいズさんが決勝に進出した時、「おめでとう」という言葉は…。
のぶきよ 「たぶん僕、言ってないですね。やさしいズとは、本当にずっと一緒だったんです。NSC時代からタイも佐伯(元輝)も同じクラスだったし、2組で『チョコンヌみたいな感じになろう!』って、よく一緒にツーマンライブしたり、ユニットコントしたり。仲良かったぶん、なんか、『うわっ…』ってなってしまって」
坂田 「僕、3年くらいタイと一緒に住んでたんですよ。4人くらいでシェアハウスしてて。その頃、やさしいズがライブシーンでめっちゃ調子よかったんで、『キングオブコントで決勝いくんじゃないか』って雰囲気だったんです。そしたら案の定、決勝進出が決まったんですけど、あの年だけ、ファイナリストがシークレットだったんですよ。芸人にとって、決勝進出が決まってから本番までの期間って、本来一番うれしいはずなんです」
のぶきよ 「みんなに祝福されてね」
坂田 「いっぱい褒められたいし、『おめでとう!』って言ってもらえる最高の期間なのに、本番まで黙っておかないといけないなんて、ちょっとかわいそうすぎると思って。でも僕も悔しすぎたし、でも一緒に住んでるし…って。で、本番当日、タイとはベッド隣で寝てたんですけど、あいつが朝早くに家を出ようとしてたんですね。それ見て、まぁその時、俺しか家にいなかったっていうのもあるし、俺も最後まで何も言えないのはなんかな…っていう気持ちもあって、それまで寝たふりしてたんですけど、いざあいつが玄関から出ようとした時、一言『頑張れよ』だけ声かけて。その瞬間、なんか味わったことのない感情が込み上げてきたんですよ。悔しいし、でも一緒に戦ってきた仲間だし…とか」
のぶきよ 「まぁ、ねぇ…」
坂田 「あいつも完全に気遣ってましたし。ちゃんと『おめでとう』とは言えなかったんですけど、何も言わないのは寂しいしな、って。あの時の景色はマジで忘れられないですね」
男性ブランコの飛躍に「夢をもらった」
――大阪NSC33期生も同期ですが、同期のコロコロチキチキペッパーズさんが「キングオブコント」で優勝した時はどういう心境でしたか?
坂田 「『早すぎるやろ!!』って(笑)。5年目で優勝なんで。なんなら、準決勝で一緒だったんですよ」
のぶきよ 「準決勝の時に初めて会って、『同期やんな?』って話しかけたんです。当時はまだ(披露するネタは)1本で、70組くらいが2日に分けて出てたんですけど、たまたまコロチキと同じ日で」
坂田 「僕は結構、人見知りなんですけど、のぶきよがグイッといって、ナダルに『おもろかったなぁ』って言ったりしてて。『よういけるなぁ、こいつ』って思ったりもしたんですけど、コロチキはネタもめっちゃウケてたし、面白かったし。そしたら案の定優勝して、『えっ? ちょっと早すぎない?』って。あとハナコもですね。ライブシーンでずっと一緒にやってきた同期なんです」
のぶきよ 「事務所は違うけど、同期で」
坂田 「昔から俺たちの単独ライブも見に来てくれたし、ハナコも調子よかったんで、『一緒に頑張っていきたいな』なんて思ってたら、2018年に『キングオブコント』で優勝して。『あ、あれ? 早いぞ?』って。その後『お笑い第7世代』がブレークして、『うわっ、そこに入れなかった』っていう悔しさもあったりとか」
――挙げたらきりがないくらい、東京NSC16期生、大阪NSC33期生の皆さんは、目覚ましい活躍をされていますね。
のぶきよ 「特に大阪がすごいですよね」
坂田 「ビスケットブラザーズも、霜降り明星も、ZAZYも、マユリカも。東京と大阪の垣根はなくなってるんですけど、僕らの期、ちょ、ちょっと激強じゃないですか…? 『す、すごいなぁ…』って圧倒されてしまう部分もあるんですけど、頑張りたいなと思いますね。男性ブランコも、僕は平井(まさあき)と一緒に住んでて、のぶきよは浦井(のりひろ)と一緒に住んでたんですよ」
のぶきよ 「そうなんですよ。5人くらいで」
坂田 「あいつらも単独ライブに力入れてて、でもお客さんが入らなくて。集客に悩んでた時もあったんですけど、『キングオブコント』をきっかけに一気にブレークして。そこからはずっと忙しそうだし、集客も悩むどころか即完で、今では若手を筆頭する人気者じゃないですか。隣にいたやつら――先輩や同期や後輩が、どんどん売れていくのをめちゃくちゃ見てきて、もちろんめっっっちゃ悔しいですけど、それと同時に『やっぱり面白い俺たちは、ちゃんと結果出るんだな』って思うんです。じゃあこれ順番で、『俺らも続けばいいんだ、うん』って。最後尾すぎるのは嫌ですけど(笑)」
のぶきよ 「まぁまぁ。そりゃ、できるだけ早くいきたいですけどね」
坂田 「錦鯉の(長谷川)まさのりさんじゃないけど、50歳までにはさすがにいきたいなって」
――「キングオブコント」は「M-1グランプリ」と違って、芸歴に制限がないですしね。
のぶきよ 「そうなんですよ! まさのりさんを超えたらさすがにヤバいです(笑)」
坂田 「55歳で優勝するのも、それはそれで最高人生ですけどね。でも、もうちょっと早めに順番来てほしいなと思います(笑)」
のぶきよ 「あと、男ブラに関しては、ずっと同じ悩みを抱えているコンビだったんですよ。コントは面白いって言われているけど、人気もないし、集客で悩んでいるし。ほかの同期と比べて、『メディアの露出が全然ないよな、俺たち』って話をずっとしてたんですよ。だから勝手に、コンビの関係性とか“色”の部分が一番近い存在なのかなって感覚があったんです。そんな中、“バーン!”ってぶち抜いたんで、まぁ悔しい思いもあるんですけど、それ以上に夢をもらった感じがしていて。『面白ければ、ちゃんと売れることができるんだ』『じゃあ自分たちも自分たちのベストを尽くせばいいんだ』ってポジティブに考えられるようになったので、男ブラには感謝しています」
――では、2021年に男性ブランコさんが「キングオブコント」で準優勝した時は、「おめでとう」みたいな言葉をかけて…?
坂田 「『おめでとう』という気持ちでは、俺はなかったですね」
のぶきよ 「うん。ちょっとそれはな」
坂田 「素直に100おめでとうではなかったです。やっぱり悔しいんで」
のぶきよ 「決勝にいけたことに関しては『よかったな!』って思うんですけど…」
坂田 「去年優勝したビスブラも仲良くて、一緒に飲みに行った時に『今度俺たちのライブにも出てや!』って言ったら『いや、出させてや!』って言ってくれて。そしたら優勝して、スケジュール取れなくて(笑)。『ゆ、優勝しちゃった!? お前ら!』みたいな気持ちもちょっとありますけど、でももはや同期とか後輩が優勝したり、ゴリゴリテレビ番組に出まくるのを見ると、そういう芸歴なんだなって思わされますから。『自分たちもやらなきゃいけねぇな』って」
どん底の時に支えてくれた先輩・ダイタク、ニューヨークの存在
――結成は2011年。12年間は、どういう道のりでしたか?
坂田 「プロとして吉本からデビューしたのが2011年なんですけど、僕ら大学の時からの友達なんで、付き合いはもうめちゃめちゃ長いんです。その頃からアマチュアサークルでお笑いもちょっとやってたんで、なんか……(少しの間、固まって)」
――…?
坂田 「いや、いろいろあったなと思って」
のぶきよ 「ははは(笑)。そらそうよ」
坂田 「なんか、『12年間、一瞬でしたね』って言おうとしたんですけど、決して一瞬じゃなかったなって」
のぶきよ 「いやいやいや。いろいろあったよ」
坂田 「紆余(うよ)曲折の人生でした。芸事だけでなく、おのおののプライベートもいろいろありましたね…」
のぶきよ 「それこそ、福岡でアマチュアでやってる時は『絶対すぐ売れるわ!』って思ってたんですよ。結果も出して、1年目、2年目にはもう冠番組持っているだろうなっていう、楽観的な考えで。その後NSCでも首席になったし、首席扱いの2組はNSC卒業後の∞ホールのピラミッドで少し優遇があったので、『このままいけるかも?』みたいな。そこから2、3年くらいやってたら、やさしいズが決勝いって、一気に沈んで…。その時は、ただただ周りがうらやましいでしかない時期で。『俺たちってなんなんだろう…』ってところから抜け出せなかったし、コンビ以前に、なんかもう“1人”って感覚になっていました。その3年間は、コンビでどうこうというより、自分のことしか考えられなかった。『なんで俺はこんなにつらいんだろう』って」
――相方さえも見えなくなるほど、追い込まれていたのでしょうか。
のぶきよ 「相方を意識することすらできなかったかもしれないですね。ずっと自分のことばかり考えて、『こんな嫌な思いしたくない』『嫌な思いしないためには、どうしたらいいんだろう』とか」
坂田 「確かに、あの頃ののぶきよの自信のなさたるや、ヤバかったですね。俺が良かれと思って何かを言っても、『コンビのことを考えられる状態じゃないわ』『俺、もういっぱいいっぱいだわ』みたいな。まぁ、僕もその頃はいっぱいいっぱいだったんですけど」
――そういう時に支えてくれたのは、やっぱり先輩や同期、後輩など、芸人仲間の方々の存在が大きいですか。
坂田 「そうですね…。僕はダイタクさんにめちゃくちゃお世話になっていて。お二人ともお世話になっているんですけど、特にダイ(吉本大)さんに誘ってもらって、一緒に飲ませてもらうことが多いんです。僕自身、めちゃくちゃお酒好きなんで、やっぱり仲間たちとすごく飲みに行くんですよ。ライブ終わりに感想を言い合ったりとか、いろいろしゃべりながら飲める時間が、最高の幸せなんです。これがあるから頑張れるし、この時間がなかったら、やっぱり心折れていたかもって思います。あとはニューヨークさんも。僕らの1個上の先輩でめちゃくちゃお世話になっているんですけど、その頃、嶋佐(和也)さんもいろいろ抱えている時期で」
のぶきよ 「そうだ…」
坂田 「ニューヨークさんなんて最初からイケイケだったから、はたから見たらそんなことないでしょうけど、本人たちとしては『うまくいかねぇな』みたいな。賞レースも結果が出せないし、後輩たちが『第7世代』でブレークしたのもあって、目に見えて腐ってたんですよ。嶋佐さんと2人で飲んだ時、『もう賞レースとかじゃねぇよ』『もっと違うこともいろいろやらないとな』みたいなことを言ってたから、僕『そんな寂しいこと言わんでくださいよ!!』って。今では完全に吉本のホープというか、『出すぎやろ!』ってレベルで売れてますけど、ニューヨークさんでも沈む時もあったし。だから『俺らなんかがへこたれるわけにはいかんな』っていう思いになりましたね。そこからネタ100本作って久しぶりに準決勝いけたり、自分たちに合うネタを見つけてからは、少しずつ自信を取り戻せた感じです」
のぶきよ 「ダイタクさんには、本当にコンビでかわいがってもらっていて。ダイタクさん自身が『おもろいと思ったやつしかかわいがらないから』って言ってるんですけど、そういう人が、僕が言ったことで笑ってくれることが本当にうれしかったんです。すべてにおいて自信がなくて、しんどくて、腐ってる時に、飲みに連れて行ってもらって、本気で『自分でも笑ってくれる人がいるんだ』って。その頃は追い込まれすぎて『こんなやつが売れるわけない』ってひたすら落ちてたんですけど、この目の前にいる芸人たちは、自分が言ったことで笑ってくれる。本当に小さいことなんですけど、それが毎日うれしくて。でもしんどくて、でもうれしくて、しんどくて…っていう日々でした。それがなかったら、たぶん本当に辞めてたと思います」
坂田 「先輩、同期、後輩のみんながいるから、頑張れます。偉大なつながりです」
「やりたいことをやれている、今が本当に幸せです」
――偉大な先輩方もたくさんいらっしゃると思いますが、お二人にとって「憧れの存在」はいますか?
坂田 「僕、『めちゃイケ(めちゃ×2イケてるッ!)』が大好きで、ナインティナインさん、特に岡村(隆史)さんに憧れて芸人になったんですよ。あとは、もちろんネタも大好きなので、バナナマンさんや、東京03さん、シソンヌさんの単独ライブを見るのも大好きなんですけど、2人でコンビについて話した時に共通していたのが『単独ライブもやり続けたい。でも、めちゃイケみたいなバラエティーもやりたい』ということだったんです。だから“最高のコント師”っていうよりは、“最高芸人”になりたいっていうのが2人の共通認識で」
のぶきよ 「(深くうなずいて)本当にそうです」
坂田 「となると、魅力的な生きざまも必要かもしれないんですけど、根っこにあるのは“目の前のお客さんをめちゃくちゃ笑わせること”だと思うんです。そこが大前提なので、だから憧れの存在となると(明石家)さんまさんとか、ダウンタウンさんになってしまうんですけど」
のぶきよ 「ははは!」
坂田 「遠すぎて、簡単に目指すとか言えない方々なんですけど(笑)。“最高芸人”になりたいですね」
のぶきよ 「僕は福岡にいた頃からフジモン(藤本敏史)さんがずっと好きで。“人間”で笑い取ってるじゃないですか。今でもめちゃくちゃ憧れだし、できるだけ近づきたいなって思います。あと、お世話になっている先輩の話にちょっと戻るんですけど、僕、あべこうじさんにもかわいがってもらっていて。あべさんって、ネタの中でもよく『ハッピィ』って言うんですけど、普段もずっと『死ななかったらハッピィやん』って言ってるんですよ。芸人として夢を追っているけど、それだけじゃ暮らしていけないなって現実に落ち込む時も、あべさんの『生きてるだけでハッピィやろ』って言葉に支えられたんです。『芸人できてることが幸せなんだ』って思うようになりましたね」
坂田 「丸もうけシステムな」
のぶきよ 「『生きてるだけで丸もうけ』。また、さんまさんになっちゃうんですけど(笑)。やりたいことをやれている、今が本当に幸せです」
【プロフィール】
サンシャイン
坂田光(1987年8月4日生まれ、福岡県みやま市瀬高町出身)と、のぶきよ(1987年12月9日生まれ、福岡県福岡市出身)が、大学の同級生として出会い、在学中はお笑いサークルで活動。大学卒業と同時に上京し、ともに東京NSC16期生として入学。2011年にコンビ結成。13年、結成3年目で「キングオブコント」準決勝進出を果たす。19年、初の著書「この高鳴りを僕は青春と呼ぶ」(ヨシモトブックス)を発売したほか、20年4月より1年半、「SCHOOL OF LOCK!」(TOKYO FM/JFN38局系列)で校長に就任(坂田)。23年2月26日、東京・よしもと有楽町シアターにて、5年ぶりとなる全2公演の単独ライブ「ハイライトサーチライト」を開催予定。会場チケット発売中(夜公演のみ配信あり)。
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【締切】2023年3月21日(火)正午
【注意事項】
※ご当選者さまの住所、転居先不明・長期不在などにより賞品をお届けできない場合には、当選を無効とさせていただきます。
※当選で獲得された権利・賞品を第三者へ譲渡、または換金することはできません。
※賞品をオークションに出品する等の転売行為は禁止致します。また転売を目的としたご応募もご遠慮ください。これらの行為(転売を試みる行為を含みます)が発覚した場合、当選を取り消させていただくことがございます。賞品の転売により何らかのトラブルが発生した場合、当社は一切その責任を負いませんので、予めご了承ください。
※抽選、抽選結果に関するお問い合わせにはお答えできませんので予めご了承ください。
取材・文/宮下毬菜 撮影/尾崎篤志
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