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【創刊60周年記念 平成令和編集長対談②】二つの時代の「TVガイド」の編集長が見てきたジャニーズ表紙の歴史2022/08/10

「平成・令和のTVガイドの作り方」編集長スペシャル対談②/ジャニーズ表紙の歴史

 この8月に「TVガイド」が創刊60周年を迎えたことを記念して、1998~99年に編集長を務めた武内朗と、2019~22年まで編集長を務めた塚本泰介の両編集長が語る、知られざる「TVガイド」の歴史を全4回のスペシャル対談で特集。第1回のスペシャル対談(https://www.tvguide.or.jp/feature/feature-1679781/)に続き、第2回となる今回は「ジャニーズ表紙の歴史」をテーマに語ります。

画期的だったSMAPの初表紙

武内 「SMAPの6人が初めて『TVガイド』の表紙を飾ったのが95年の夏(95年6/30号)。これは画期的だったね」

塚本 「どういう点が画期的だったんですか」

武内 「今の『TVガイド』からは想像できないかもしれないけど、ジャニーズのグループをこんなふうに表紙でフィーチャーするというのが考えられないことで」

塚本 「でも、少年隊とか光GENJIとかも表紙に登場してますよね」

武内 「それは彼らがアーティストとして人気があったからなんだよね。でも、SMAPの場合はちょっと違う。93年秋の『あすなろ白書』(フジテレビ系/93年10~12月)で木村(拓哉)くんの人気に火がついて、94年には中居(正広)くんと香取(慎吾)くんが『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ系/82年10月~14年3月)のレギュラー、95年には『SMAPのがんばりましょう』(フジテレビ系/95年4~9月)も始まって、もう毎日のように彼らがテレビに出てくる。それでSMAPを表紙に起用しようということになって、当時の編集長がジャニーズ事務所にお願いをしに行った。普通アーティストを表紙にするならレコード会社に依頼するじゃない?」

塚本 「そうか! レコード会社でも局でもなく…」

武内 「大判化の半年前でしょ。編集長とすれば大判化第1号の表紙のことはすでに頭にあったと思う」

塚本 「番組とかリリースのきっかけなしに頼みたかったんですね」

武内 「それで半年後の95年11月に『TVガイド』大判化の創刊号、そして直後の年末年始号にもSMAPに表紙で登場してもらった。それまで年末年始号といえば『NHK紅白歌合戦』の司会者が定番だったのに、翌年にはほかのテレビ誌も全誌SMAPが表紙になった。これも『TVガイド』が広めたことの一つじゃないかな」

塚本 「そこから『TVガイド』とジャニーズ事務所の付き合いが始まったんですね」

武内 「関係図をはじめとするワンクールごとのドラマ特集と、ジャニーズメインの誌面構成というテレビ雑誌の大きな二つの流れは、今でも続いてるもんね」

塚本 「その二つともこの時期の『TVガイド』から始まっているということなんですね。感動します」
 

「木村拓哉」の時代

武内 「その頃は、木村くんのドラマの勢いが本当にすごかった。『ロングバケーション』(フジテレビ系/96年4~6月)、『ギフト』(フジテレビ系/97年4~6月)、『ラブジェネレーション』(フジテレビ系/97年10~12月)と立て続けにヒットを飛ばしてた。そのドラマごとに表紙やグラビアで出てもらって、ちゃんと売れた。でも、僕が編集長をやっていた時は、木村くんあんまりドラマに出てなくて。中山美穂さんとやった『眠れる森 A Sleeping Forest』(フジテレビ系/98年10~12月)だけだったの。だからそのクールに4回表紙をやった(笑)」

塚本 「4回! それは2人合わせてってことですよね」

武内 「そう、2人合わせて。特集も毎週のようにやってたな。『眠れる森』はミステリーで、『次はどうなるんだろう』ということを、編集部内でも話し合ったりしながら作っていた」

「平成・令和のTVガイドの作り方」編集長スペシャル対談②/ジャニーズ表紙の歴史

塚本 「ほかに印象に残っている特集はありますか?」

武内 「『主題歌必“唱”法』っていう、ドラマ主題歌の歌詞を載せて、ついでにカラオケで歌う時の一言アドバイスなんかも入れた特集があってね。90年代は主題歌のヒットが続いていたんで結構人気だったんだけど、編集長だった99年頃は着メロがブームになって、機種ごとの入力番号を全部載せてた。知らないかなぁ。ガラケーに手打ちで着メロを入力するっていうのがはやったのよ。本も出てベストセラーになったりしたの。(若いスタッフに)知らない?」

スタッフ 「知りません」

武内 「知らないか…(笑)」

塚本 「武内さんが編集長をやられた98~99年頃は、誌面は既に、オールカラーでしたか?」

武内 「まだオールカラーじゃなかったね。番組表はカラーだったけど。モノクロの特集ページも結構あったね」

V6の表紙はテレビ誌としてのチャレンジだった

武内 「(過去の表紙を見ながら)こう見ていくとV6で表紙をやったのは(96年3/29号)、チャレンジだったのかもしれないな」

塚本 「それはどのような意味でですか?」

武内 「この頃、V6が特に番組に出ていた感じがしないというか。もちろんデビューから半年後くらいでヒットも飛ばしてたし、人気はあったから、タレントパワーとしては手応えがあったんだろうけど。今の“テレビきっかけ”以外の表紙起用の仕方に近い、というのかな」

塚本 「そうだったんですね」

武内 「たとえばKinKi Kidsや、その後にデビューしたKAT-TUNの時は、どちらもデビューの前からかなりテレビに出ていたじゃない」

塚本 「KinKi Kidsは堂本剛くんの『金田一少年の事件簿』(日本テレビ系/95年7~9月)ほか、ドラマにいっぱい出てたし、デビュー前には『LOVE LOVEあいしてる』(フジテレビ系/レギュラー放送は96年10月~01年3月)もありましたもんね。KAT-TUNも『ごくせん』(日本テレビ系/05年1~3月)があったし、亀梨くんは『野ブタ。をプロデュース』(日本テレビ系/05年10~12月)に出ていたし」

武内 「この頃もジャニーズのタレントさんが表紙を飾る機会は多かったわけだけど、それはやっぱりジャニーズのタレントがたくさんテレビに出ていたからで。テレビに出ている人を載せるという考え方から言うと、特に不思議なことではなかった。それは『冬のソナタ』のヨン様(ペ・ヨンジュン)をやるのも、今でも連載が続いている声優さんが誌面に登場してくるのも、同じ道理だよね。その時テレビに出ている人を取り上げるということだったわけだから」

塚本 「なるほど。そういう意味では、このV6の表紙はテレビ誌としてのチャレンジだったかもしれませんね」

 「平成・令和の編集長対談」の第3回は、8月17日に公開予定。テーマは「誌面作りのデジタル化」。

【プロフィール】

武内朗(たけうち あきら) 
1986年入社。「TVガイド」編集部に90年に配属。その後、「TV Bros.」編集長などを経て、98年に「TVガイド」編集長に(~99年)。


塚本泰介(つかもと たいすけ) 
2003年入社。「TVガイド」編集部に05年に配属され、その後、「月刊TVガイド」など他媒体の編集部を経て、19年に「TVガイド」の編集長に(~22年4月)。

撮影/蓮尾美智子



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