山本耕史が演じる三浦義村の本心とは? 襟を触る癖に秘められた撮影エピソードも!「本当は言わない方が格好いいんだろうけど(笑)」2022/12/04
第46回(12月4日放送)の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(NHK総合ほか)では、源実朝(柿澤勇人)が亡くなったことにより、実衣(宮澤エマ)が息子・阿野時元(森優作)を鎌倉殿に据えようとしますが、北条義時(小栗旬)と三浦義村(山本耕史)の策略にハマり、時元の謀反は失敗に終わりました。その後、紆余(うよ)曲折を経て、わずか2歳の九条三寅が鎌倉殿となり、その補佐役として誕生したのが尼将軍・政子(小池栄子)でした。
今回は、さまざまな人を裏切りながら生き永らえ、第46回では義時のために実衣を失脚させた三浦義村を演じる山本耕史さんに、義村や義時への思い、各回の裏話や最終回エピソードを伺いました!
――山本さんは三谷幸喜さん脚本の大河ドラマ「新選組!」(2004年/土方歳三役)、「真田丸」(16年/石田三成役)、そして本作と3作に出演されていますが、過去2作と今作で取り組み方や心持ちに違いはありましたか?
「3作品の中で最初から最後まで出ているのが『新選組!』と今作です。ポジション的にも主役の相棒や盟友で、一番近くに居る存在というところが共通していますが、土方の場合は、近藤勇(香取慎吾)を出世させるために自分が2番手に回り、彼のために人生をささげる青春群像劇。一方、義村は義時の盟友だけど、忠義が全く違う場所にあるし、どの瞬間も三浦の存続を第一に考えている立場なので、土方とはある意味、真逆の立ち位置を演じた印象です。『真田丸』に関しては、武骨な忠義の人間として石田三成を演じ、気持ちよく人生を全うしました。実は、『新選組!』と『鎌倉殿の13人』は、大河ドラマの中で人生が終わらず、唯一、三成だけが人生を全うしたんです。見せ場で花を咲かせてパッと散っていくのが大河ドラマの気持ちよさだったりするんですが、今回はそれがありませんでした。土方は幸せなことに続編があり、そこで全うして自分の中で役を終えられたんですが、義村に限っては物語が終わってもまだ生きているので、終わった感じがあまりなく、僕の中ではまだ生き続けている役です」
――義村にもスピンオフがあればよかったですね。
「そうですね。義村か泰時(坂口健太郎)なのかは分からないですけど、未来に向かって行く人が今回はたくさんいたので、スピンオフがあってもいいですよね。でもこれは義時を描いた作品なので、(義時役の)旬くんが終えることを見届けることができてよかったです」
――本作であらためて感じた三谷作品の魅力を教えてください。
「『新選組!』以来、どんどん腕に磨きがかかっていますね。スピード感、あえて描かない部分の切れ味。絶対に描くだろう史実や表舞台の出来事ではなく裏側、その時ほかの人々は何をやっていたのかという部分を非常に面白く描くというか。良くも悪くも視聴者の期待を裏切っていく斬新さっていうのかな。これは三谷さんの脚本でしか見たことがないかもしれません。下駄を履いた義経(菅田将暉)が五条大橋のところで出てきてポンと立つとか、武蔵坊弁慶(佳久創)が立ったまま死ぬ場面が当たり前にあると思っていたから、それを描かないことの面白さですよね。『新選組!』の時は池田屋事件など基本的に全部描いていたけど、あれは新群像劇という感じがしたし、『真田丸』は真田信繁役の堺雅人さんが出世していく物語で、出来事は史実でも有名だったので、教科書を見ているようなシーンもあれば『そこを描くんだ!』っていうところもありました。今回も出世は出世なんだけど、時代に飲み込まれながら、自分の信念をねじ曲げながらも北条のために命を懸けて生き抜く義時を描いた『鎌倉殿の13人』は、史実を内側からひもといていくところに磨きがかかっていたんじゃないでしょうか。そこに三谷さんらしく、おとぼけシーンやコメディー部分を織り交ぜながら描かれていて、素晴らしかったです」
――コメディー部分も、かなりシビアなところに全然違う笑いを持ってくるシーンは難しいように思うのですが、演じていてどうでしたか?
「三谷さんにとっては、ああいうシーンはお手の物なんじゃないでしょうか。シリアスなところをよりシリアスに持っていくのがドラマだし、見ている人の思いなんだけど、そこを三谷さんは1回外す。ずっと緊張させない。一方で、そんなところで緊張させ続けるんだという場面もあって。やっぱりすごいですよね。第21回(5月29日放送)の川に流された八重(新垣結衣)を捜すシーンで義村が裸になったんですが、普通だと上は濡れないから、はかまを脱ぐかまくし上げるので、『これ、僕、脱ぐ必要ありますか?』と聞いたら、『ちょっと見ている人の視線を1回、義村でごまかしたい』と言われて。あれは本当に三谷さんの見事な技でした。重たくなりすぎるシーンなので、義村の裸体で気を逸らしたいと。そこまで計算できちゃうのは『すごい』と感心しました。また、裸といえば、第42回(11月6日放送)で八田知家(市原隼人)と義村が着物を脱いでいたシーンがあって、『あれは山本耕史がアドリブで脱いだんだろうか』と言われているけど、僕の方が台本通りですから。そもそも台本に、義村がなぜか裸になっていると描いてあって市原くんの方が描いてなかったので、どちらかといえば八田のアドリブだったんです」
――そうだったんですね! では、義時が純粋な若者から変貌していくさまを盟友・義村として間近でご覧になっていて、役者・小栗旬のすごみを感じたことはありましたか?
「ご想像の通り、大河ドラマの主役は本当に大変なんですよ。約1年半同じ役で同じペースで撮っていて全48回もあるので、精神的にも体力的にも一番大変な立場であることは間違いないんです。撮影前半は旬くんより目上の方が多かったのですが、先輩方に気遣いができるし、先輩方がいなくなるのをちゃんと見届けていました。その後、新しく入ってきた同世代や後輩たちにもきっちり目を向けて細かい気配りをしていましたね。本来、自分が一番、気を使われなきゃいけない立場なのに。まさに最初の頃の義時みたいな男ですよ。彼は本当にタフな精神力と肉体を持っている印象です」
――クランクアップ後に声を掛けられましたか?
「『お疲れさま』というやりとりをしましたが、今後『鎌倉殿』のイベントなどで会う機会もあるから、お互いに終わったようで終わっていないところもありました。義村と義時は近いけれど、腹の底を探り合うという関係性でしたが、非常にいい距離感でやれました。年は僕の方が上ですが、小栗旬と山本耕史という関係性でも語らなくても通じ合っているところは通じ合っていたし、言わずもがなみたいなところもあって。大河ドラマを1年半もやっていると、義村が言っているのか、僕が言っているのか本当に分からなくなってくる時があるんですよね。僕が義村っぽくなっちゃうところもあったし、旬くんが義時っぽくなっちゃうところもあったろうし。優しくてすごく夢にあふれている小栗旬と、40歳を手前にベテランの方になりつつある立場として厳しくいかなきゃっていう姿も見ました。後半の義時のような厳しさも見えた気がするし、本当に旬くんのいろんな人間性が見れた作品でしたね」
――振り返りになりますが、第1回(1月8日放送)で時政(坂東彌十郎)が京から持ってきたお土産が足りず、それを知った義村が遠慮するシーンでは、気の利くいい人で爽やかな友情を感じました。
「その時はそう感じたかもしれませんが、今思い返すと、ただ単に嫌いで要らなかったんじゃないかという見方もできますよ(笑)」
――なるほど。何度も見返すといろいろな解釈ができそうですね。
「実は第44回(11月20日放送)を見ると、また第1回から見返さなきゃいけないような出来事が出てくるんです。義村の腹の内を探りにきた義時と泰時に、義村が『そんなわけないだろ』と襟を触りながらとぼけて、義村が去った後に泰時が『信じるんですか』と義時に尋ねると、『あいつは言葉と思いが違う時、必ずこうする』と言って、自分の襟を触ってうそを見抜くシーンがあって。それを見ると『あのシーンも触っていたんじゃない?』と、これまでの回を見返す人が出てくるんじゃないかと思っています」
――それは三谷さんのアイデアだったんですか?
「三谷さんは当初、違うシチュエーションを描かれていたんですが、どうせなら義村がこれまでにやったことのあるしぐさでやれないかということになり、義村は襟を触るのが印象的だという話になったんです。僕は自分が襟を触っていた自覚はあるんですが、どんなシーンで触っていたのかまでは覚えていなくて。でもこれが、見事に言葉と思いが異なる時に触っていたんですよ。後付けになるから、本当は言わない方が格好いいんだろうけど(笑)。ちなみに直近でやっていたのは、第31回(8月14日放送)の比企能員(佐藤二朗)を問い詰めると、『わしの身に何かあれば三浦も立つ!』と言って能員がふすまを『パーン!』と開けると義村が立っているのですが、その時に義村が『北条とは2代にわたって刎頸(ふんけい)の交わりよ』と言いながら襟を触っているんですよ。ほかにもそういうシーンが何回かあります」
――それは全部見返さないといけないですね!
「ぜひ、見返してください」
――変化していく義時に対して、義村は第1回から考えていることは変わらなかったんでしょうか?
「よくよく考えると、義村は最初から言っていることが変わらないんです。北条が頼朝(大泉洋)をかくまう時にも『首、はねちまえよ』と辛らつだったし、頼朝のことを『あいつは疫病神だ』と言っていました。そして、いち早く『義時、お前頼朝に似てきたぞ』と言い、一貫して頼朝を嫌っているようでした。後半では、誰であろうと出るくいを打つところが『全く変わらない男じゃん』と。後半、義村が義時を裏切るような立場になると、視聴者から『義村、腹立つ』と思われるのかなと想像していましたが、あそこまで義時が闇堕ちしてしまうと、『義時をいじめないで』ではなく『義時、ほかの人をいじめないで』という流れになるんじゃないかと思ったし、義村が義時を裏切ったら『よくやってくれた』となるんじゃないかと。義時が変わっていったからこそ、義村が変わらないことが際立ちましたよね。変わらないといえば、義時や和田義盛(横田栄司)、畠山重忠(中川大志)がひげを蓄えて見た目が変わっていく中、義村は一貫して何も変えないでいこうと決めました。衣装は1回だけ変わりましたが、そういう意味でも対比を付けていたんです。通常、大河ドラマでは年を重ねると老けメークといって、白髪を出したり、しわを加えたりするのですが、義時と義村、お互いが引き立つように、僕はメークも変えていないんです。彼の思惑や思想、そして容姿、全部第1回から統一したのは、非常に良かったと思っています」
――ブレない義村でも、ブレそうになったことはあったのでしょうか?
「そういうポイントだらけなんですよ。どちらにつくかをそれなりに吟味するんです。今ここで北条に反旗を翻すとどうなるかなど、常にいろんなパターンを考えて。でも想定外だったのは、第40回(10月23日放送)で起請文を飲まされたところ。でも瞬時に腹をくくって和田軍につくと決意したら、義盛から『どうせ裏切るならギリギリで裏切らないでほしいんだよな』と言われて。あの時、義村は和田につくと決めていたのに、そういうならと裏切ることに決めたんですよ。自分で選ぶ時もあるんだけど、和田合戦の時だけはちょっとラッキーと思ったのかもしれないですね。意外なうれしい誤算というか。でも、もしあのまま和田軍について戦っていたら、義盛や巴御前(秋元才加)がいなくなった瞬間に寝返っていたんじゃないかなと思います」
――義村という役は楽しかったですか?
「台本で義村が出てきて『なるほど、こっちにつくんだ』と思いながらめくっていったら、『話に乗ってきた、やつは』みたいなセリフが来るから『え? どっち?』と混乱して、自分でもよく分からないことがありました。義盛をあおっていたのに、読み進めていったら『あのヒゲオヤジ乗ってきたぞ』と描かれていたりして。だから台本を読んでいても、最後の最後までどっちにどう転ぶのか全く分からなかったです」
――裏切り続ける役を演じていてストレスはなかったですか?
「全然なかったです。むしろどっちにつくんだろうとワクワクしました。梶原景時(中村獅童)が力になりそうな時は景時を必要としたし、親友であろうが無二の友であろうが義時であろうが出るくいは打つ。そこに迷いがないから、むしろ気持ちいいですよね。絶妙なギリギリのバランスで重心を保つ彼の勘と判断力のすごさは、台本を見ていてとても爽快でした。また、第40回(10月23日放送)で弟・胤義(岸田タツヤ)に物事を教える時に、『兄上はそう見せかけて、あわよくば和田殿につこうとされている』と言われて、『大人になったな』となぜか褒めた後『上総、梶原、比企、畠山。幾人が滅んだ。三浦はまだ生き残っている。つまりは、そういうことだ』というシーンがとても義村らしい言葉と生き方だなと。ほかにも第41回(10月30日放送)で、義村が『俺を信じるか信じないかはそっちの勝手だ。俺を信じてお前は死ぬかもしれないし、信じて助かるかもしれない。だが、俺を信じなければ、お前は間違いなく死ぬ』と義時に言うシーンも好きです。0か100じゃない、0か50。これもすごい義村らしいですよね。俺を信じれば生き残るじゃなくて、俺を信じたらお前は死ぬかもしれないし、生き残るかもしれない。俺が言っていることが本当かうそかはお前が判断しろということだから。全部毒が入っているパンと、半分毒が入っているパンを渡されているようなもので、あれはすごく面白いセリフでした」
――ちょっと偉そうに言うところもすごいですよね。
「そうなんですよ。あんなふうに言われちゃうと、ごもっともと納得しそうになるから。言い逃れがここまでできるって相当頭がいい、つまりそれを描く三谷さんがすごい頭がいいってことですよね。三谷さんはこういう文章をずっと何パターンも考えているんでしょうね」
――では、演じていて心苦しく良心が痛んだシーンはありますか?
「しいて言えば、第45回(11月27日放送)の公暁(寛一郎)暗殺かな。これは私情も入っているかも。すごい残酷なシーンであり、大先輩である大好きな(佐藤)浩市さんの息子でもあり、浩市さんからも『よろしくな』と声をかけていただいたりしたので。でも浩市さんの息子としてではなく、寛一郎という1人の俳優としてすごくいい俳優だなと思いました。義村がたきつけたのに失敗に終わり、手を打っておかないと三浦が危ういから公暁を暗殺する。『こんな時でも腹は減る』と食事をしながら隠れる算段を話す公暁を、後ろからサクッといくんですからね。ある意味、義村っぽいんだけど、そこはちょっとかわいそうでした」
――史実の義村は長生きで、義時も政子も亡くなった後、10年以上も生きる人物です。今作では描かれないようですが、そんな義村が人生を振り返った時、どんな思いが去来していたと感じていますか?
「先ほども言いましたが、全話通して、義村が一貫して言っていることが全く変わらない。彼の生き方は、のらりくらりといろんなところにひょいひょい行くんですが、その生き方自体に迷いがない。そして、すごい人物だから、北条だけでなく、和田や比企などからも頼られる。三浦が味方につく方が残っていくのは、史実上でも分かる通りで。だから、この大河ドラマの中で真っすぐ生き抜いたというのが率直な感想です。起請文を飲まされたところは計算外でしたが、飲まされた時点で腹はくくっていますしね」
――臨機応変に対応できるんですね。
「そうですね。そして裏切った後に『なるほど』と思えるもっともらしいことを言うから、『確かにそうだな』と思っちゃう。迷いやブレがないんですよね。だから演じていて、すごく気持ちよかったです。旬くんも『いいなあ、義村だけ楽しそうで』ってうらやましそうでした。正直、義時より楽しく演じていたと思います。すごく大変な義時の横で、いつも通りの義村を演じるのは痛快でした。ほかにも第34回(9月4日放送)で、義時がのえ(菊地凛子)を見定める際『あいつ(義村)は今ひとつ信じきれない』と八田に見極めを頼み、太鼓判を押されるも、義村が一発でのえの手に握り飯が付いていることを見抜くシーンは爽快でしたね」
――もうすぐ最終回を迎えますが、最終回の台本を読んだ時の感想はいかがでしたか?
「最終回は非常に面白い幕の閉じ方をしていて、印象的だったのは義村と義時2人の最後の会話シーン。どういうふうに終わるんだろうと思っていたのですが、見事にこの1年半撮影してきた流れの中で、義村も義時にとっても、腑(ふ)に落ちる終わり方で、非常に見応えのあるシーンになっていると思います。2人の覚悟を持った会話で、最後の最後に通じ合ったというか、最初に戻ったような、そんなすてきなシーンでした」
――そのシーンの撮影秘話があれば伺いたいです!
「義村が自分の思いを吐露する唯一のシーンで、三谷さんらしいテイストがあって。台本を読んだ時には、難易度が非常に高いと思ったんです。しっとりさせた本気の感じだと三谷さんのテイストが出ないし、かといってコメディーに寄せすぎると、もったいないシーンで。あのシーンに限ってはその二つを両立させるために、普段あまりしない演技プランを組み立てました。台本から僕が受け取ったイメージは、淡々と自分の思いを語る“静”のシーンだったんです。だけど、それより振り幅を持たせたいと考えて、台本には書かれていなかった“動”の動きを入れました。そうすることによって、シーンがより引き立つかなと思って。淡々とやると意外と普通に成立しちゃうシーンなんですが、抑揚を付けてドラマチックにしました」
――ありがとうございました!
【番組情報】
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」
NHK総合
日曜 午後8:00~8:45ほか
NHK BSプレミアム・NHK BS4K
日曜 午後6:00~6:45
NHK担当/K・H
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